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人生を変えたモッツァレラチーズ みるくのアトリエ寺田牧場の挑戦

恵庭市事業者の想い

文:高橋さやか 写真:高橋洋平

しぼりたてのミルクのフレッシュな味わいを生かしたチーズをつくりたい。
まだ日本でモッツァレラチーズが出始めだった20年ほど前、独学でチーズ作りに挑んだ男性が恵庭にいました。みるくのアトリエ寺田牧場の寺田和弘さんです。
寺田さんが作るモッツァレラチーズは、ふんわりとした食感と、とろけるようなミルクの優しい味わい。「いままで食べていたものはなんだったの?」と、モッツァレラの固定概念が覆されるほどです。
酪農家、チーズ職人、イタリア料理のシェフという3つの顔をもつ寺田さんに、理想のチーズができるまでの試行錯誤と、その原動力についてお話をうかがいました。

虚しさを感じた、搾乳に明け暮れる日々

札幌中心部から車で約40分ほどのところに位置する恵庭市。市街地からさらに、車で10分ほど走ると、緑あふれるのどかな風景が目の前に。「たどり着けるのかな?」と、ちょっぴり不安になる田舎道の先に、寺田牧場はあります。もともと倉庫だったものを改装したという「みるくのアトリエ」の扉を開くと、厨房に寺田さんの姿がありました。

ーーこちらの牧場は、もともと寺田さんのご実家で?

寺田:そうですね。両親がこの場所で酪農をやっていて、恵庭で生まれ育ちました。
25歳くらいから畜産商社でアメリカからの輸入販売の仕事に携わり、その後、酪農をやろうとまたここに戻ってきました。

酪農をはじめた頃は、牛が80頭くらいいたので、朝から夜中まで絞っての繰り返し。それを3年間くらいやってたら、虚しくなってきちゃったんですよね。下請け的な感じで。「俺、なにやってるんだろう?」と。

そこから、自分が絞った牛乳で何かできないかと思ったんです。で、考えたのがヨーグルトかチーズ。ヨーグルトはただ売って終わりだけど、チーズは料理にも使える。じゃあ、チーズの方がこれからのびしろがあるんじゃないかと。22年くらい前ですかね。

牧場だからこそフレッシュさを生かしたチーズを

チーズに可能性を感じ、つくってみようと決意した寺田さん。「牛乳のフレッシュさを生かしたものを」と考え、たどりついたのがモッツァレラチーズでした。

ーー20年前にモッツァレラチーズというのは、めずらしかったのでは?


寺田:モッツァレラは出はじめで、まだ輸入チーズ自体が少なかった頃です。カマンベールのような、熟成させるタイプのチーズは、本場であるヨーロッパにはかなわない。じゃあどうしようかと考えて、うちには牧場があって、しぼりたての牛乳を使えることに着目しました。フレッシュさで勝負できて、つくり立てが一番美味しいモッツァレラでいこうと。

ーー当時、市場でもめずらしかったモッツァレラチーズをどうやって独学でつくったんですか?

寺田:モッツァレラのつくり方が書かれたイタリアの文献があったんですけど、すごいアバウトで。(笑)
その文献を見ながらつくってみたものの、最初すっごい失敗したんですよね。
そこから、チーズづくりの肝となる乳酸菌の特性について、雪印で研究員をしていた人の書籍で調べて。チーズのできあがりを見ながら、どんどんつくり方を変えていったんです。

試作を繰り返して、お客様に出せるレベルのものができるようになったときに、お店をオープンしました。当時は、お金がなかったのと若かったから、もともと倉庫だったこの場所を改装して。それが21年くらい前かな。

10年間の試行錯誤。本場イタリアが示してくれた理想のモッツァレラ

「凝り性なんですよね」と言いながら、独学でのチーズづくりについて語る寺田さん。お客様に出せるレベルのものができるようになった後も、試行錯誤を繰り返し、ついにはモッツァレラの本場イタリアへ旅立ちます。

ーー独学でチーズづくりをはじめてから寺田さんが理想とするものができるまで、どのくらいかかったんでしょう?

寺田:10年くらいかかりましたね。牛も変えてきたんです。最初はホルスタインばっかりだったんですけど、乳脂肪率が3.8%前後でチーズにするにはちょっと薄いんです。今は、ブラウンスイスという品種をいれて3種類くらい配合しています。乳脂肪分が4%くらいあって、たんぱく質も高いので、バターやチーズの加工に適した品種。

チーズ自体の作り方もそうですけど、原料となる牛も変えてきたことで、理想とするものができた、というのはありますね。

ーー乳牛の種類がチーズの仕上がりに違いがあると気づいたのは、何かきっかけが?

寺田:6〜7年前にモッツァレラの本場であるイタリアに行ってみたんです。作りたてのモッツァレラを食べたくて。
ナポリから南に車で1時間くらい行ったところにあるパエストゥムという街へ。古代ギリシャ遺跡でも有名な地域なんですけど、すごい湿地帯で伝統的に水牛を飼ってチーズをつくってる街なんです。

アポも取らずに、イタリアで1人、レンタカーを借りて左ハンドルマニュアルで。(笑) 工房がたくさんあって、そこから出来立ての水牛モッツァレラを買って宿で食べたら、衝撃的なおいしさでした。

それまで、ホルスタインの牛乳と水牛と他の牛乳で味が違うのかって、ずっと考えてたんですよね。水牛は、乳脂肪分が6.4%くらいあって、たんぱく質も高い。「味の違いは牛のちがいなんだ!」と。イタリアに行って、はっきりしました。

酪農家、チーズ職人、イタリア料理のシェフという3つの顔

ーーここまでチーズのお話を中心にうかがってきましたが、寺田さんは、チーズ職人だけでなく、酪農家でもあり、イタリア料理のシェフでもあるんですよね。実家から、酪農を引き継いだら、そのままその道で・・ということもあると思うんですが。そこに安住しない原動力はどこからくるのでしょう?

寺田:自分が納得いくものを出してお客さんに喜んでもらいたい、というのが根底にあるからなんでしょうね。だから、人任せにできない。

最初の頃は、牛もたくさん飼いながらお店をはじめてしまったので、手が回らなくて。料理人をやとったんですけど上手くいきませんでしたね。お客さんに「大将がつくる味とちがうよ」と怒られて、ハッとしました。それから、牛の頭数を減らして、自分の目の届く範囲でやるようにしたら、お客さん戻ってきましたよね。

酪農やって、チーズつくって、料理も出して、なんでも1人でやってる変態さ加減にお客さんがひかれるのかな。普通の人とこいつはちょっと違うなと。(笑)

ーー私だったらその忙しさに心が折れてしまいそうです。

寺田:一週間にまるまる1日休んでいるので、結構大丈夫。
ただ、心が折れそうになったことはありますよ。最初の4〜5年は本当に大変でしたね。はじめた頃って、牛が80頭いて、お店もあってで目が行き届かなかった。難産になって母子ともに死んでしまった牛がいた時はショックでしたね。

あと、ゴールデンウィークの稼ぎ時に、チーズが3日間くらいできなくなった時は焦りましたよね。

ーーそこから、どうやって乗り越えていくんでしょう?

寺田:やっぱり次の日また一生懸命やるしかないですね。どうしてうまくいかないのか、失敗したのか調べて、原因をつきとめて。

2018年の地震の時は、まるまる2日間くらい停電したので手で搾乳して。冷蔵庫も使えなくなったので、ストックしてあったピザ生地をパンにしてSNSにアップして売ったりね。

いろんなことが起こるので、結構打たれ強くなりますよ。

これからもお客さまの期待にこたえるものを

すべてが軌道に乗ったのは、スタートして10年経った頃。仕事のルーティンをつくることで、ストレスなく淡々とつくれるようになったと寺田さんは言います。モッツァレラチーズ、酪農、イタリア料理店、これまでさまざまな挑戦を繰り返してきた寺田さんの今後についてうかがいました。

ーー今まで、いろいろなチャレンジをされてきましたが、今後の目標は?

寺田:あんまりなくなっちゃってきたかな。今やってることである程度、自分の理想とすることは形にできてきたので。

新しいことをやろうというよりも、今は常連さんが結構多いので、期待に応える味を提供し続けることが第一。コロコロ変わらずに「あそこのあれがおいしいよね」というのを大事にしていきたいなと思ってます。

チーズにしても料理にしても、いちばんの喜びはお客様においしいと言ってもらえること。そのために一生懸命やってますね。

生まれ育った牧場を継ぎ、道なき道をあゆんできた寺田さん。新千歳空港にも近い立地ゆえ、寺田牧場には本州からのお客様も多くいらっしゃるといいます。
「モッツァレラは難しいけど面白い。当時はどうなるかわからなかったけど、人生変わりましたよ」と笑顔で話す寺田さんの姿が印象的でした。
1人の男性の人生を変えたモッツァレラチーズをみなさんもぜひどうぞ。

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