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出会いとひらめきをつなげる。重原商店が切り拓く、水産業界の新たな道

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出会いとひらめきをつなげる。重原商店が切り拓く、水産業界の新たな道

羽幌町事業者の想い

文:三川璃子 写真:原田啓介
 
甘えびやにしん、タコなどが獲れる海鮮の宝庫・羽幌町で、水産加工と仲卸を営む重原商店。3代目代表の重原伸昭さんは、商品開発や海鮮の自動販売機の導入など、常識にとらわれない新たな発想で、挑戦の輪を広げています。
 
「いろんな苦労もあるけど、めぐり会った人たちと交わりながら楽しくやっていきたい」と、笑顔で語る事業の背景には、出会いや仲間を大切にする重原さんの想いがありました。

出会いが事業を支える、昭和3年創業重原商店の歴史

重原商店は昭和3年創業、羽幌を支える老舗水産加工会社です。まずはこれまでの歴史と、重原さんが代を引き継ぐまでの歩みをうかがいます。
 
ーー重原商店はもともと加工会社として立ち上げられたのでしょうか?「商店」という名前が付いているのも気になりました。
 
重原:初代と2代目は、羽幌町の姉妹都市である石川県内灘(うちなだ)町出身です。初代、重原栄太郎のころは、ニシンがたくさん獲れた時代。身欠きにしんにして、北前船(※)にのせ、富山や京都まで往来していたそうです。
 
(※北前船:北前船は江戸中期から明治30年代まで、蝦夷(北海道)と大坂の間を、日本海沿岸の諸港に寄港しながら、下関、瀬戸内海を通って往来した廻船)

重原:羽幌に渡ってきたのは、昭和3年(1928年)初代の栄太郎、昭和21(1946)年終戦後に2代目である父親と兄弟たちが揃って羽幌に移ってきたんです。家族みんなで一緒に事業を手伝うようになって、昭和39(1964)年9月に重原商店を会社として設立しました。
 
なぜ「商店」かはわからないですが、本当の商店だと勘違いして事務所に海鮮を買いに来るお客さんも結構いましたね。
当時は、身欠ニシンや糠ニシン、塩数の子など、BtoB向けの商品や道内外への鮮魚の仲卸が主でした。

2代目代表のころの写真
2代目代表のころの写真

ーー重原さんが3代目として、受け継がれたのはいつですか?重原さん自身、受け継ぐ意志は昔からあったのでしょうか?
 
重原:大阪の水産会社に3年勤めて、羽幌に戻ってきたのが平成4(1992)年です。代を継いだのが平成19(2007)年ですね。
 
学生の時はずっと剣道をやっていて、家業のことはあんまり考えていなかったかな。でも中学校くらいの頃に「実業家の3代目」という題で学校の弁論大会に出たことがあり、その頃からなんとなく継ぐんだろうなとは思っていました。

ーー大阪では仲卸の勉強や修行のために行かれていたんでしょうか?
 
重原:勉強というよりも、飲み仲間を増やすためだった(笑)大阪にいった当初は知り合いもいないし、文化も全然違うからとても不安でね。一緒に飲むうちに打ち解けて、大阪は人情にアツい優しい人が本当に多いまちでした。
 
当時飲み仲間だった人とは、今でも交流がありますよ。
ホタテ製品の商談で東京にいった時に、次の年から帆立貝の原料が入らなくなることが決まって本当に困っていたことがあったんです。その時に、大阪時代の同期が東京で食事に誘ってくれて「タコはどうなの?」って。年間300トンくらい水揚げされることを伝えたら、「全部買ってやるから」と。羽幌まで来てタコの加工のやり方も教えてくれてね。以来毎年、年間100トンのタコを買ってくれるんです。
 
人の出会いが転機になって、ご縁を生み出してくれてるなと思います。

動員数は4万人以上。「はぼろ甘エビまつり」から生まれた新たな商品

「羽幌に帰ってきたときは、仲間が周りにいたから不安はなかった。ひたすら次何やるかって話してたね」という重原さん。
 
先代から継いだ事業を守りながらも、商工会や消防団など、羽幌の仲間と共にまちの活性化にも取り組んできました。さらに町を盛り上げるべく企画した一大イベントがはぼろ甘エビまつりでした。
 
重原:まちの青年団体などの仲間と、毎年ライブを企画したり、イベントを実施していました。
 
この経験を活かして盛大におこなったのが、「はぼろ甘エビまつり」です。第一回は実行委員長として関わりました。
 
これまでは町内向けの「はぼろ味まつり」っていうお祭りだったんですが、「もっと羽幌らしい面白いことをやろうぜ」と、「はぼろ甘エビまつり」を企画したんです。
 
まずは第0回目として試したのが、「甘えびを1トン売り切る」をテーマにしたお祭り。1トン本当に売れるのか、やってる当人たちも疑心暗鬼だったね。
結果は700キログラムと、想像以上に売れたんです。「じゃあ次は3トンを目標にしよう!」と開催した第1回羽幌甘えび祭りでは、目標を大きく超える5トンもの甘えびが売れました。

重原:開催の度に来場者数も増えて、第3回には12トンの甘えびが売り切れたほど(笑)
流石に仕入れた発泡スチロールを見て驚いたね。これ本当に注文あってるの?って。何度も計算しました。
 
ーー全然想像できない量ですね。すごい・・・。
 
重原:甘えび祭りでは本当に漁師の人も喜んでくれたし、来場した人たちも見たことのない新鮮な甘えびに、喜んでいたと思う。
 
はぼろ甘エビまつりでこだわったのは「新鮮な甘えび」を仕入れること。
 
新鮮すぎて「こんなの食べたことない」っていう体験をしてもらいたかった。ビチビチ動いている甘えびを見て、新鮮すぎて皮が剥けないくらいコリコリの甘えびを食べる。それってきっと今まで経験したことのない体験じゃないですか。

最近はえび全体の不漁が続いて、1,000トンあった漁獲量は400トンほどに。残念ながら祭りは開催できてないですが、何万人ものお客さんがきて、喜んでくれた甘えび祭りは、大きな達成感とやりがいを感じました。
 
はぼろ甘エビまつりでは、生の甘えびの他に羽幌産サフォーク羊や、地元野菜なども販売していました。重原さんも甘えび祭りで新たに開発した甘えびの加工品を販売。直接お客さんの反応を見て、商品のシリーズ化を進めることになったそうです。

重原:第二回羽幌甘えび祭りで、うちが新しく出したのが「甘えびわさび」の小瓶でした。たこわさびがあるんだから、甘えびわさびも合うんじゃないかって。茎わさびと合わせてつくって、これを試食販売したら、ものすごく評判がよくて。
 
甘えびわさびのお客さんの反応をきっかけに、他にも塩辛や味噌と合わせた商品も作って、和風3本でシリーズ化しました。今も宅配サービスで売ってますし、定番人気の商品です。

楽しい思い出を残してもらいたい。直接商品を届ける仕組みを

業者向けの加工品だけではなく、消費者の手に直接届く商品の開発も積極的に進めてきた重原さんですが、2020年の新型コロナウイルスの影響でいくつもの壁に直面しました。第10回を迎えようとしていた羽幌甘えび祭りも中止に。水産業界も大きなダメージを受けました。そんな時、重原さんを救ったのは従業員の一言でした。

重原:コロナで外出や往来がしにくくなった時期に、事業を見直しました。ちょうどキャンプも流行り始めた時期で、キャンプ好きの従業員と「うちの商品をキャンプで食べれたら」「自動販売機で買えたら便利だな」って話してたんです。
 
商工会でお世話になっている先生にも相談してみたら、「事業化の道筋はありますよ!」って教えてくれて。本気で事業化しようと、コロナの事業再構築補助金も活用して、自動販売機を導入しました。
 
まずは近辺のキャンプユーザー向けに設置しようと、羽幌の道の駅はキャンピングカーのお客様が多いので隣接するサンセットプラザホテルに設置。他に、キャンプサイトのある初山別温泉、苫前温泉ふわっとなどに設置しました。

サンセットプラザに設置された自動販売機
サンセットプラザに設置された自動販売機

ーー設置したときの周りの方の反応はどうでしたか?
 
重原:自動販売機を見に行ったとき、近くにいたおばちゃんが「評判いいよ〜」って声かけてくれましたね。やっぱり物珍しくて見てくれているみたいです。
 
ーー確かに、これは目に入って気になっちゃいます。自動販売機の商品はどんなものが入っているんでしょうか?

重原:冷凍した甘えびや、にしんの切り込み、タコのチャンジャなどのおつまみが中心です。あとは地元のお店ともタッグを組んで、お菓子屋さんの梅月さんとコラボしたあんこベイクドチーズケーキや、蜂屋さんのジンギスカンも一緒に並べています。
 
基本冷凍商品ならなんでもOK。鮮度を最大限にキープできる3Dフリーザーという冷凍機を導入できたから、叶いましたね。
 
今は「マルジュー・シー・バーグ」というお魚ハンバーグの商品をラインナップに入れようかなと構想しています。

ーーマルジュー・シー・バーグとは?
 
重原:羽幌で水揚げされる春ニシンを使ったハンバーグです。それも雄のニシンだけを使って。春ニシンは水っぽくてあまり利用されることが少ないんですが、ミンチにして食べると本当に美味しいんだよね。
 
最近は、子どもたちの魚離れが進んでいるのも現状です。でも骨も全部ミンチにしてハンバーグにすれば、春ニシンも美味しく食べれるし、子どもたちの食育にもつながる。さらに健康にもいい!
 
魚をおいしく食す文化を広げるためにも、自動販売機の事業は体制を整えていきたいと思っています。

重原:家族でキャンプに来て、子どもたちと一緒につつきながらご飯を食べる。「楽しかった」って言える思い出のシーンになって欲しい。商品を通して思い出をつくることがものすごく大切だと最近気づき始めました。
 
じわじわと広がっていったら嬉しいです。

人との繋がりが、道を広げていく

自動販売機の導入に伴って、重原商店の事務所の隣には直売所も設けられました。ホテルの自動販売機で商品を購入してファンになった方が、ふらっと直売所に訪れるようになったとか。
 
まちの活性化にも携わり、地元企業や従業員とのつながりを大切にしながら事業を育む重原さんの挑戦の原動力と、今後の展望についてうかがいます。

ーーまちのお祭りに、新たな商品の開発、自動販売機の導入など、ずっと挑戦をしてきている印象なのですが、重原さんにとって挑戦は怖くないものなんでしょうか?
 
重原:もちろんいろいろ苦労はあるんだけど。人同士、交わりながら楽しくやることで、やりがいを感じています。
 
私は、先の心配はあんまりしないタイプ。だって、まだやってもないのに失敗したらどうしようって考えても仕方ない。作戦を練って「じゃあやってみようか!」ってなるね。でも私一人じゃ何にもできない、いつも沢山の人に支えて貰ってるって思います。ホントに感謝しかありません。

左:重原伸昭さん 右:重原啓汰さん(常務)
左:重原伸昭さん 右:重原啓汰さん(常務)

重原:息子が去年こっちに帰ってきてくれたのも大きいね。次の世代のためにもやらなきゃって気持ち。
 
やっぱり前向きにいろんなことをやり続けることが大切。疲れることはあるけど、お酒を楽しく飲んだらリセットされるよ(笑)
 
 
ーーこれから挑戦していきたいことはありますか?
 
重原:自動販売機の管内展開・・・いや、全道、全国展開したいです。
 
道が主催する「地域フード塾」で出会った食のキーパーソンとの繋がりを生かして、各地にコラボ展開できたらいいなと。
 
これまで出会った人との繋がりが、進む道をどんどん広げてくれる。最終的には海外に重原商店直売所ができたら、とか夢は広がります。
 
どうしても大きな会社さんと勝負するとコスト面には勝てないんだけど、大切にしたいのは、変わらずに美味しいものを届けること。真面目につくったものかどうか。伝統的なものかどうか。こだわり抜いた商品を届けていきたいです。

「自分がつくりたいものを作ってそのまま届けられるって、面白いですよ」と終始、楽しそうに事業について語ってくれた重原さん。周りを明るくする重原さんの力があるからこそ、人とのご縁をきっかけに挑戦の芽を育めるのだと感じました。
 
これからもたくさんの人が関わることで、ワクワクする新たな商品、新たな事業が生まれることでしょう。

会社情報

重原商店
〒078-4101
北海道苫前郡羽幌町南1条3丁目3番地の4
電話: 0164-62-2138

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