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ポップコーンでお客様の笑顔も弾かせたい。前田農産食品の苦悩と挑戦の歩み

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ポップコーンでお客様の笑顔も弾かせたい。前田農産食品の苦悩と挑戦の歩み

本別町事業者の想い

文:三川璃子 写真:山田祐介

香ばしい匂いをかぐだけで、自然と映画館やお祭りの情景が浮かぶポップコーン。現在、日本に出回るポップコーンの原料は、ほとんどが海外輸入です。国内での栽培事例がまだ少ない中、ポップコーンの栽培と加工に挑んだのが、前田農産食品株式会社 4代目の前田茂雄さんです。
「生産者と消費者の距離を縮めたい」ーーそんな想いを胸に、前田さんが新たな食文化を創るため奮闘するのには、ある理由がありました。

ポップコーンで冬の雇用を守り、新たな食文化を創る

開拓から120年、前田農産食品は時代と共に形を変えながら歩んできました。まずは、これまでの軌跡をたどります。

ーー前田農産食品では、どのような商品を展開しているのでしょうか?

前田
:うちは120ヘクタール(東京ドーム約25個分)の農地で小麦、豆類、ビートなど穀物栽培をメインでやってきました。2009年から5品種の小麦多品種栽培を開始。理由はパン屋さんがつくるパンには、それぞれにマッチした小麦粉があり、原料となる小麦に違いがあると知ったからです。パン屋さんから、「前田さんの小麦粉でつくるパンは美味しいですね!」と言われた時に、農業の魅力と奥深さに気づかされました。

パンは毎日食べる主食です。種をまき、製粉され、パン屋さんがパンの形にしてくれる。この小麦のバトンリレーから、食文化をつくる大切さに気づき、消費者に寄り添った商品展開を心がけようと思いました。

(写真提供:本別町役場)
(写真提供:本別町役場)

ーーパン屋さんとの出会いをきっかけに多品種の小麦栽培を始められたんですね。
栽培だけでなく、選別やポップコーンの加工も行っていると伺いました。農家さんでそこまでやっている方って珍しいですよね?

前田
:そうです。うちは、会社名に「食品」って言葉が入ってるじゃないですか。これは創業当時、祖父が冬の雇用確保のために、でんぷん工場をやってた名残りです。8月頃から澱粉用いもを収穫して、2月くらいまでかけて、でんぷんに加工する冬型操業をしていたんです。つまり今も昔も、冬の仕事確保はずっと課題でした。

時代の変化もあり、でんぷん工場は廃業。父と僕の代では、冬場に仕事がなくなるのを見越して、夏だけ短期スタッフや実習生を雇用することで調整していました。でも、毎年夏にだけ新しい人を採用すると、教えるのに手一杯。次の年に、ノウハウが残っていかないんです。

そこで、「自分たちで収穫したものに付加価値をつけて、冬や雨の日の雇用も確保したい」と考えました。小麦の選別ラインを自ら手掛け、ラインでつかえる作物として、2013年からポップコーンの栽培をスタート。4年の歳月をかけて、2016年には本格的に加工・販売し始めました。

ーー新たな作物に「ポップコーン」を選んだ理由はなぜだったのでしょうか?

前田
:アメリカに留学した時にレンジでチンして出来るポップコーンを食べたんですよね。それを思い出したのがきっかけです。調べてみたら、当時、日本で生産されている商品はなかった。

僕は、生産者は農作物をつくるだけでなく、「食の楽しさを提案する人」でありたいと考えています。老若男女誰もが親しんでいるポップコーンなら、それを伝えられるだろうと。
さらに、穀物は保存がきくし、小麦の収穫に使用していたコンバインも活用できる。そうした背景からポップコーンへのチャレンジを決意しました。

ポップコーン収穫の様子(写真提供:前田農産食品)
ポップコーン収穫の様子(写真提供:前田農産食品)

出逢いをヒントに、試行錯誤を重ねた4年間

生産者と消費者は互いに顔が見えづらい関係ですが、決して切り離せない存在です。「もっと消費者に寄り添った商品を」という想いで、ポップコーン生産に乗り出した前田さんでしたが、完成までにはいくつもの失敗と試行錯誤の道のりがありました。

ーーポップコーンといえばアメリカのイメージが強いですよね。
日本とは気候や土壌など環境も違う中で生産するのは、苦労もあったのではないでしょうか。商品の完成までは、どのくらいかかったんでしょう?

前田
:約4年間かかりました。ポップコーンは日本での先例がなかったので、アメリカの師匠のもとを何度も訪ねました。

種、栽培方法、乾燥、保存、選別など学んだ上で、本別町の環境に合う寒さに強い品種、かつ電子レンジ調理ができる品種を選んで栽培することにしました。でも、ポップコーンづくりはそんなに甘くありませんでしたね。

ーー具体的にどんな障壁があったのでしょう?

前田
:もう、忘れもしない1年目。僕は世界一まずいポップコーンをつくり、約14トンも廃棄したんです。原因は温度。11月に気温がマイナスになり、霜にあたってダメになりました。

でも北海道は気温が低くても、とうもろこしの一大産地ですし、飼料用のデントコーンも育てられる。同じコーンなら、ポップコーンもできるはず。そこでヒントをもらったのが、偶然出会った酪農家さんでした。デントコーンの栽培の際、温度を保つために生分解性の「マルチ」というフィルムを使っていたんです。それを見て、うちの畑にも導入することにしました。

改良を重ねた2年目は、綺麗な色のコーンが出来たんですが、今度は乾燥の工程で問題が発生しました。乾燥機で急激な乾燥風にあてると、黄金色だったコーンが真っ白になってヒビ割れたんです。原因は水分と秋の乾いた空気。だから、もっとゆっくり乾燥させる必要があったんです。

前田:乾燥を促すためにどうすればいいか、本当に悩みました。でもここでも、偶然の出会いが助けてくれたんです。

以前、観光で寄った真狩村の豆腐屋さんから「穀物混合乾燥法」※で乾燥させた大豆を使って豆腐をつくると歩留まりもよくなって、美味しくなるって話を聞いたんです。それを思い出して「これだ!」と。

小麦の選別で出てくる規格外品と、ポップコーンを混ぜ合わせてみたんです。すると、小麦がポップコーンの水分をしっかり吸着してくれて、均一に乾燥できるようになりました。ポップコーンでこの工程を採用してるのは、世界でもうちだけ。あの豆腐のおじちゃんには感謝ですね。

※違う種類の穀物をぶつけ合い、水分を吸収する方法

ーー日本の気候に合わせてつくるために、試行錯誤が必要だったんですね。

前田
:天気は神様に頼んでもどうにもならないですからね。アメリカ人に言わせると「なんでお前そこまでして作る」みたいなこと言われちゃうんだけど、とにかくもがきました。

ポップコーン選別前の様子(写真提供:前田農産食品)
ポップコーン選別前の様子(写真提供:前田農産食品)

だから2年間弾けないポップコーンを栽培して廃棄していたこともあり、2015年、16年は正直なところ、私も狂乱気味だったというか、失敗したらどうしようと不安の毎日でした。スタッフ全員、レンチンのポップコーンなんて食べたことがない。僕ですら今何を作ってるのか、半信半疑な状態が続きました。

でも、「最終的に自分は何をやりたかったの?何を実現したいのか?」を考えた時「冬場の仕事が作りたいんだ」というところに立ち返って。じゃあ、できるかどうかはわかんないけど、今その仕事をクリエイトしよう。これ逃げちゃったら、また振り出しじゃんって。

ーーたくさんの試行錯誤を重ねて、生産していったのですね。「電子レンジでつくる」ポップコーンにこだわった理由は?

前田
:農業者として「出来立て」の美味しさを提供したい、と思ったからです。今まで農作物は、農協や業者さんに預けて終わりでした。でも、誰かがうちの小麦を食べてくれるおかげで、僕たちは種を蒔けます。食べてくれる人のためにも、僕たちは「どうやったらもっと食べやすくなるか」をもっと考えるべき。

ましてや、ポップコーンは不要不急のお菓子です(笑)。食べなくても生きていける。だからこそ、新しい食文化をつくるには、食べやすさの提案が必要だと思いました。日本は幸い電気のインフラが整っていて、どの家庭にも電子レンジがあります。誰でも気軽に楽しめる「出来立てのおいしさ」を届けたかったんです。一緒にチンして、笑顔もはじかせちゃおっ!みたいな。

先代が創り守り続けた畑に付加価値を

4年間もがきながら、ようやく漕ぎ着けたポップコーンの商品化。「ポップコーンが弾ける前に経営が弾けると思って必死だった」と語ります。熱い想いを抱きながら、諦めずに走り続けられたのは、先代の存在も大きかったようです。

ーー失敗を重ねながらも、長い期間諦めずに頑張れたのはなぜでしょう?

前田
:祖父や父の存在は大きいですよね。僕は、祖父や父に比べたら遊んでいるようなもんだと思ってます。開拓から120年続くこの農地は、間違いなく本別町の先人たちのおかげで今ここにあるもの。

うちの祖父は、1899年に本別町に新婚でやってきました。岡山から2年かけて北海道にわたり開拓に来たそうです。当時は重機やチェーンソーなんて便利なものはない時代。馬を使って畑を耕したんです。ハンパないですよね。神社、お寺、集会所をつくり、学校用地も寄贈して、祖父は本別町の原点をつくったんです。

前田さんのお祖父様が写っている開拓時のお写真(写真提供:前田農産食品)
前田さんのお祖父様が写っている開拓時のお写真(写真提供:前田農産食品)

その祖父母から、ここを受け継いだ父も農地を広げ、畑作専業農家としての道を歩んできました。農家にとどまらず、町の有志みんなと3万坪(10ha)のトウモロコシ迷路をつくり「農業を発信」することにも挑んでいました。当時、子どもだった僕はただの遊び場だと思ってましたが、今振り返ってみると、父は迷路というカタチで出会いの場、ひいてはまちづくりをしてたんだと思います。

ーー代々、農地を起点にまちづくりをされてきたんですね。前田さんの代もひまわり迷路をつくっていると伺いました。

前田
:父達のトウモロコシ迷路から着想を得て、ひまわり迷路という形で復活させました。僕が農業をやらせてもらっている、本別という町で、人が出会うきっかけの場になったらいいなって思います。

父親たちが創って、守ってきた場所。だからこそ大事にしていきたいですし、もっと付加価値をつけて、みんなに知ってもらいたいです。

ひまわり迷路の空撮(写真提供:前田農産食品)
ひまわり迷路の空撮(写真提供:前田農産食品)

本別でしか出来ない体験、ポップコーンから繋ぐ未来

先祖から受け継いできた土地で、ポップコーンという新たな食文化を創り、人と人との繋がりを創出したいと語る前田さん。商品はつくっておわりではなく、消費者に食べてもらうことが大事だと言います。今後の展望についてうかがいました。

ーー商品を通してどんな想いを届けたいですか?

前田
:食は最大の自分ごと。まずは「美味しい」と思ってもらわないとだめですね。日常ではあまり気づきにくいですが、パンもポップコーンも「農産物」。商品として形になる前に、農産物としてどのように育て、作られているのか知ってもらいたいと思っています。

そのために、全国のパン屋やパン講師向けに「北海道小麦キャンプ」という小麦畑でのイベント開催や、地元の中高生や生協関係者向けにポップコーンの収穫体験を毎年行っています。商品自体はネットでどこでも買える時代です。でも、収穫体験などはここに来ないと出来ない。本別町でしか出来ないことを今後も提供したいですね。

ポップコーン収穫体験の様子(写真提供:前田農産食品)
ポップコーン収穫体験の様子(写真提供:前田農産食品)

統計上、本別町の人口は年々減っていて、20年後には今の半分以下にまでになる予測です。人は増えませんが、一戸農家の農地は拡大し続けます。町の生産人口が減ると、「電気や水道、道路は誰が修理する?」と、社会の生活インフラ自体も成り立たなくなる。これは本別町だけじゃなく、全国的にほぼ同じような状況になりえるでしょう。

ただ、畑から雇用型の加工をして食文化を提案できれば、地域農業は持続化できるんじゃないかと思っているんです。ポップコーンをプラットフォームに、全国の一次産業とコラボした商品をつくって、お互いにマーケットシェアできるような仕組みをつくりたいと思っています。

ーーポップコーンと全国、どのようなコラボ商品を目指しているのですか?

前田
:例えば、信州わさび、紀州うめカツオ、瀬戸内レモンペッパーなどのフレーバーを混ぜてシャカシャカして食べられる地方コラボのポップコーンを構想しています。コラボすることで、互いのまちの名前が知られる。例えば、広島とコラボすることで、広島の売店にうちのポップコーンが置けたり、逆に広島のレモンが十勝で販売できるようになったり。ローカル×ローカルの商品をつくれば、お互いに販売先のシェアもできると思っています。

(写真提供:前田農産食品)
(写真提供:前田農産食品)

ーーわぁ面白そうです。夢が広がりますね。

前田
:10年後、20年後も目指す風景は、誰かが家で当たり前に北海道十勝ポップコーンを食べている姿。その背景には農業の循環がある。さらに、商品を通じて本別町を知ってもらい、実際に来てもらうこと。事業を継続していくことで、食文化を根付かせ、「あいつは本別町に人を呼んで来るやつになったな」って言われたいですね。

「農家は昔、百姓って呼ばれてたからね」ー土作りから栽培、選別ラインやポップコーンの加工工場も、全て資材を調達して自作。パン屋さんやお客様との出会いを大事にしながら、農家という仕事に誇りをもって未来へと前進する前田さんや前田農産スタッフさん達の姿が印象的でした。

取材後、お土産でいただいたポップコーン。レンジの出来上がりと音とともに香る、香ばしいコーンの匂い。サクサクした食感と優しい自然の甘み。手が止まらなくなる、やみつきになる味付け。袋を開けて数分後、友人たちとおしゃべりしながらパクパク食べて、気づけばあっという間になくなっていました。

熱い想いがこもった出来立てポップコーン、ぜひ召し上がってみてください。

レンジで膨らんだ後のポップコーン(写真提供:前田農産食品)
レンジで膨らんだ後のポップコーン(写真提供:前田農産食品)

会社情報

前田農産食品株式会社
〒089-3308 
北海道中川郡本別町弥生町27
電話 0156-22-8680