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明治時代から浜益の自然と共に。きむら果樹園が贈る、豊かな実り

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明治時代から浜益の自然と共に。きむら果樹園が贈る、豊かな実り

石狩市事業者の想い

文:三川璃子 写真:飯塚諒
 
海と山、豊かな自然に囲まれた石狩市浜益区。かつてニシン漁で栄えた浜益は、陸路が険しく、道路が整備されるまで「陸の孤島」と呼ばれていました。この土地で自然と共生しながら、さくらんぼや梅、りんご、梨など約550本もの果樹を育てているのが、きむら果樹園です。
 
「ここには何十億の命があって、その中に自分の命もある。だから心が安らぐんだよ」と、やさしい眼差しで語るのは、きむら果樹園4代目の木村武彦さん。1877年(明治10年)に、開拓使が無償で苗木を配ったことからスタートした、果樹園の物語をひもときます。

明治から始まった、多品目の果樹栽培

取材で訪れたのは果樹園にとって繁忙期の7月。「さくらんぼはもう終わりかな、すぐに梅や桃も収穫しなきゃなんだけどね」と、木村さんは温かく迎えてくれました。
 
 
果樹園に着いてまず目に入ったのは、歴史を感じる直売所の建物。築100年を超えるこの建物は、ニシン番屋のスタイルで建てられたものだと言います。

ゆがんだガラスも、明治時代の手焼きでしか出せない味だそう。貴重な建物です。
ゆがんだガラスも、明治時代の手焼きでしか出せない味だそう。貴重な建物です。

ーー直売所の建物、タイムスリップしたような感じがしてとても素敵ですね。
 
木村:明治10(1877)年に、山小屋として建てられたものだと聞いています。夏の繁忙期に家を行き来する時間がもったいないからと、ここに山小屋を建てて夏の間生活をしていたんです。
 
この果樹園は開拓使によって無料で配布された苗木を植えたことがはじまり。ニシン漁で財をなした木村円吉が経営し、その後木村家に養子に入った周助が初代園主として本格的に果樹の栽培をはじめました。
 
ーーだから、直売所がニシン番屋の造りなんですね。果樹園ができた当初はどんな果物を育てていたのでしょう?
 
木村:りんご、さくらんぼ、ぶどうや洋梨、ももなどですね。当時の日本には在来の果物がほとんどなかったから、とにかく海外から多種多様な果物を取り寄せて、植えていたそうです。

木村:ここには130年前に植えられたさくらんぼの木が現存しているんですよ。
腐ったり、病気がちの木もありますが、先人たちが苦労して育てた木は極力切らずに、受け継いでいきたい。弱っていたら幹の部分にトタンを被せたり、剪定し保護しています。
 
昭和40年代には浜益村幌地区に20〜30戸あったという果樹園ですが、現在は3戸に。今でも果樹栽培が続いているのには、浜益ならではの土壌が関係していました。

木村:人間があらわれるよりもずっと昔、この一帯は川だったんです。今でも地面を掘り起こしたらすぐ石や岩がでてきます。そのおかげで水はけがよく、果樹の根が張りやすいんです。湧水も豊富で、果樹が育つには良い環境だったのでしょうね。
 
りんごの段々畑にある石垣は、元からここにあった石を積んでできたもの。開墾時に、ニシンの出稼ぎで来ていたヤン衆100人くらいが積んだと聞いています。

浜益の自然が、果樹と人の心を癒す

果樹の寿命は平均30〜50年と言われますが、100年以上にわたって果樹が生きながらえ、実をつけるのは、浜益地域ならではの気候と木村さんの丁寧な関わりがあるから。
 
「浜益は、日本をコンパクトにした箱庭のような環境。本当に良いところですよ」という木村さんは、浜益の自然と環境に惚れて移り住んだそうです。
 
 
ーー木村さんは浜益ご出身ですか?
 
木村:岐阜県出身で、高校卒業後は東京でさまざまな仕事に就きました。ただ、徐々に都会の生活に疲れてしまったんですね。20歳ごろから、自然に囲まれ自給自足ができる場所を探しもとめ、バックパックで北海道と九州を旅しました。
 
北海道には親戚の叔父を頼りに来て、当初はサラブレッドの馬を育てる牧場で働いていました。
 
ーーきむら果樹園との繋がりはどこから?
 
木村:叔父からこの農園を紹介してもらったのがきっかけです。7月の繁忙期に、果実の収穫やりんごの間引き作業、袋がけなどのお手伝いに来ていました。
 
2年目に手伝いにきた頃には、岐阜に帰ろうか考えていたんだよね。果樹園の小屋暮らしに憧れがあって「1週間ここで泊めさせてもらえませんか?」と、試しに言ったら「いいよ」って。
 
そこからですね、気づいたら住み着いてました(笑)

木村さんお手製の五右衛門風呂
木村さんお手製の五右衛門風呂

ーー木村さんが描いていた理想の生活が、ここにあったということですか?
 
木村:当時は電気も通っていない山小屋で、ランプを灯して、石の上に釜をおいて、池の水でお風呂に入って。ハイジのような自然に囲まれた世界に憧れがあったので、こんなに素晴らしい環境は他にないと思いましたね。
 
当時、3代目をつとめていた義父は「自分の代で果樹園は終わりかな」と思っていたそうです。そこに私がきた。「果樹園をやってくれないか」ともちかけられて、次女の妻と結婚を考え、婿養子として果樹園を引き継ぐことになったんです。

木村:浜益には山、川、海という豊かな自然環境があり、お米が取れて、畑もできて、果樹も育てられる。日本のいいところがコンパクトに詰め込まれた「箱庭」のような環境だと、私は思っています。
 
体験授業でやってきた地元の子どもたちに、よく語るんです。「君たちは本当に良いところに住んでいるよ」って。
 
自然の豊かさとは、さまざまな命に囲まれること。ここには草木や鳥、虫、動物、それぞれ異なる無数の命がある。

木村さんが撮影した、果樹園の周辺に生息する珍しい虫たち
木村さんが撮影した、果樹園の周辺に生息する珍しい虫たち

木村:命は自分のためだけではなく、他の命のためにあるもの。草木は土になるし、土にはみみずが必要です。誰かの命のために、死んでは生まれを繰り返す。それが自然の成り行き。
 
人は無機物や人間だけに囲まれると、疲弊してしまうものだと、私は感じるんですよね。人間も自然の生態系の中の一部であると感じられると、幸福感が生まれる。
 
浜益に来て、果樹園を営み、釣りをして、ハンターも経験した。私自身が身をもって、自然界の命のつながりを体験したことで、本当の意味で「自然と共に生きることの大切さ」を実感しました。

自然の脅威が生んだ転機

浜益で、自然とともに生きることの豊かさを実感したと言う木村さん。ですが、自然は時に脅威にもなりえます。台風や大雨によって、大切に育てた果実が襲われることも。
きむら果樹園の「りんごジュース」は、そんな自然との格闘から生まれました。
 
木村:十数年前、大きな雹(ひょう)が収穫間近のりんごを襲いました。直径2cmほどもあり、りんごは傷だらけ、地面に落ちてしまうくらい強いものでした。
 
「これでは売り物にならない」と、途方にくれましたね。
 
そこに「ジュースにしてみませんか?」と、農業普及指導員※の方が声をかけてくれたんです。傷ものになったりんごは、収穫間際とはいえまだ青いものもあって、ギリギリジュースにできるかな、という状態。資金面の心配もありましたけど、「とりあえずやってみよう」と。
 
※農業普及指導員とは、農業改良助長法に基づく国家資格で、農業事業者と直接接し、農業技術の指導や経営相談、農業に関する情報提供などを行い、農業技術や経営を向上するための支援をおこなう。普及員とも呼ばれる。

木村:普及員さんが紹介してくれた工場では、ドイツから輸入した特別な機械を導入していました。低温殺菌でりんごジュースを製造できる機械で、りんご本来の味を残せるもの。品種ごとの味の違いも鮮明でしたね。
 
どの品種を掛け合わせると1番美味しいか?
自分でもりんごを擦ってジュースをつくって、味見して。「この品種は酸味が強すぎるなとか、ふじは甘すぎるな」とか、かなり試行錯誤しましたよ。
 
たどり着いたのが、ジョナゴールドと北斗のブレンド、そしてハックナイン単体でつくったりんごジュース。砂糖は一切使用せず、酸化防止剤のビタミンCも必要最低限の量でやさしい味に仕上げました。

ーーできあがったりんごジュース、周りの反応はどうでしたか?
 
木村:残念ながら、当初はなかなか売れなかったんです。2年目からは、地元のスナックなどに営業したら「焼酎で割るとあっさりしておいしい」と、少しずつ評判になっていきました。
 
ーー想像して、飲みたくなってきました。
 
木村:りんご本来の甘味だけなので、飲み口がスッキリしてるんですよね。
周りの反応が励みになって、「もっとおいしいものを」と、糖度12度以上のりんごジュースを目標につくることにしたんです。糖度計で糖度を測り、厳選して工場に持っていって。工場長からも「木村さんとこのジュースは贈答用に推せるだけの味だよ」って褒められてね。

ーー傷ものになってしまったりんごを救うためにはじまったりんごジュース、作って終わりではなく、甘さを追求して選定しているのはすごいですね。
取材前に厚田の道の駅をうかがいましたが、大瓶のりんごジュースはもう売り切れでした。
 
木村:ありがたいことに、加工品用のりんごは生産量が追いついていない状況ですね。製品として出荷するりんごもあるので、どうしても限りがあります。
 
ファンもいらっしゃるので、できるだけ加工品も出したいですし、バランスをみながらですね。

先代の木を守り、次の世代へ

受け継いできた果樹を守り、自然と対峙しながら歩んできた木村さん。息子さんが果樹園を継いだことに「うまく経営できるか不安もあるけど、嬉しいね」と語ります。
 
ーー今後取り組みたいことはありますか?
 
木村:今後のことは息子に任せています。継いでくれたことは本当に嬉しい。ただ、丸投げするわけではなく、栽培管理はこれからも私が続けていく予定です。
 
梅を増やしていきたいし、りんごももう少し増やしたいな。そして、先代が苦労しながら残してきた果樹を絶やさないことですね。

木村:2代目からつくっている「梅漬け」っていうのがあってね。樹齢150年の木になる梅でつくるのが1番美味しいんです。塩と紫蘇だけでつくるんだけど、梅がとろっととけたような食感で、でも皮は残っていて。
 
新しい梅でも試してみたんだけど、この昔からの梅には敵わない。他の木にくらべると病気に弱かったり、作りづらさはあるんだけど、味もいいし、色もピンクで綺麗。
こうした先代が育んでくれたものも、守っていきたいですね。
 
ーー最後に、きむら果樹園から届けたい想いはありますか?
 
木村:一度、うちに来て欲しいですね。購入いただいたジュースや果物が、どんなところで育てられたものか。ぜひ、浜益に訪れて豊かさを感じてもらいたいです。

「この植物は知ってるかい?」と木村さんのお話を聞きながら歩く山道は、突然景色が変わったように感じるほど、ワクワクに満ち溢れます。「豊かさとは何か」を学んだ時間でした。
 
自然を愛し、受け継がれてきた歴史を尊ぶ木村さんのあたたかさが溢れる果物やジュース。ぜひ味わってみてください。

Information

森のくだもの屋さん きむら果樹園
住所:北海道石狩市浜益区幌379-2
TEL/FAX:0133-79-5033(園地)

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