
岩見沢産の最高峰小麦を食卓の風景に ベーカリーカンスケが届ける食のよろこび
岩見沢市事業者の想い
文:浅利 遥 写真:斉藤 玲子
パンの原料となる小麦。原産地までは気に留めないかもしれませんが、実は使用されている小麦の多くは外国産です。そうした中、岩見沢で生まれた小麦「キタノカオリ」の美味しさを全国へ広めようと、「Farm to Table」を掲げパン作りに勤しんでいるのが、ベーカリーカンスケ代表の山本吉信さんです。
山本さんが作るパンの美味しさは、地元で生産される小麦を自分の目で確かめるところから。小麦の持ち味を生かしたパンを日本中の食卓へと届けています。
奇跡の小麦で、風向きを変えたい
取材に伺った日は店休日のはずなのに、香ばしいパンの香りが。全国から集まる注文の声に応えて、工房にはパンを製造しているスタッフのみなさんの姿がありました。
どのパンもふっくらした見た目で美味しそうです。

ベーカリーカンスケのパンが選ばれるわけとは?山本さんにお話しを伺いました。
ーー全国から人気を集めるベーカリーカンスケのパンにはどんな特徴があるのでしょう?
山本:特徴は岩見沢産の「キタノカオリ」という小麦を使用していることです。ふっくらとした歯応えで、香りも良い。シンプルなコッペパンなどは、素材の違いがくっきりと出ますね。
吸水率といって、小麦に含まれる水分の割合が圧倒的に多く、それが歯応えの良さになっています。何十年も北海道小麦を研究している農業の専門家曰く、タンパク質のバランスも抜群で、「20〜30年に一度しか生まれない、遺伝子レベルで奇跡的な小麦」とのこと。世界でいちばん美味しいという人もいるほどです。

ーーそんな奇跡的な小麦が岩見沢で生まれたというのはすごいですね。
山本:恵まれてますよね。試験段階の小麦を使ってパンを作ってほしいと依頼を受けていたんです。最初はよくわかってなかったんですが、後から考えたら、キタノカオリの開発のためだったんだなと。
当時メインでつかっていたパン用の小麦は、ハルユタカでしたが、キタノカオリは全然違いましたね。パンを美味しく焼くには水分量が重要で、小麦粉に少しずつ水を足して見極めていきます。その中で吸収率の高さに気づけたという意味では、パン屋の力も必要だったのかなと思います。
2003年にキタノカオリが誕生して、「これはおいしくて、いい小麦ができた」と。きっと世の中の国産小麦の風向きは変わっていくと感じました。これからキタノカオリの評価は高まって、日本中に知れ渡るようになるはず。可能性を感じて、できることは積極的にやろうと取り組んできました。
ただ、他の品種と比べて、栽培に手間ひまがかかるんですよね。世間では「幻の小麦」と言われるくらい希少価値が高まる中、身近にいる農家さんがこだわって作り続けてくれることは、本当にありがたいことです。

農業大国岩見沢の小麦が使われない悔しさ
岩見沢で生まれたキタノカオリを使い、「自分のこどもにも安心して食べてもらいたい」という想いでパン作りをしてきた山本さん。ですが、北海道産小麦を使ったパン作りは当初から順調だったわけではありませんでした。
ーーベーカリーカンスケでは、当初から地元の小麦を使っていたのでしょうか?
山本:創業したのは1975年で、「モンパリ」という店名で長く市民に愛されてきました。私は1994年に父から声をかけられ、一緒に仕事をするように。1997年頃から「これからの時代は、地産地消が大切になる」と信じて、100%道産小麦に切り替えパンを作りはじめたんです。岩見沢は小麦の一大産地。小麦を生産する農家さんが周りにたくさんいるのに、「なぜこの農家さんたちが生産した小麦で作ったパンが世の中に溢れていないのだろう」という疑問が根底にありました。
当時は外国産の小麦でパンを焼くことが当たり前。「道産小麦にこだわらなくても・・」と言われることもあって、唇をきつく噛み締めました。「良いことと需要って違うんだろうな」と思いながらも、自己満足では終わらせたくなかった。悔しかったですね。

ーー今では人気を集める道産小麦のパンも、最初はなかなか受け入れられなかったのですね。
山本:「パサパサして食べづらい」という厳しい声をたくさんいただきましたね。大変だから父親も廃業すると言って、2010年に店名をベーカリーカンスケに改め、私が社長になったんです。2003年に誕生したキタノカオリを取り入れて、パン作りをしていましたが、当時は岩見沢市民にも名前が知れ渡っていない状態。日本全体での認知も低かったですし、パン業界では「失敗しやすい」という雰囲気でした。
一生懸命ポスターを作ったり、アピールもしていたんですけど、なかなか受け入れてもらえなかったですね。「ちょっと早すぎたかな」という気持ちもよぎりましたけど、誰かが始めないと世の中は変わらない。
実際に小麦は作られていて、農家さんは頑張って作ってるんです。岩見沢は農業大国で田んぼと畑だらけ。そういう景色を見ながら育った人間としては、腑に落ちないじゃないですか。美味しくするために研究を重ねましたね。結果的に、「北海道小麦は美味しい」という風潮になったので、続けてきて良かったと思います。
子どもたちの成長の一翼を キタノカオリ小麦100%の給食パンで担う
道産小麦を使ったパン作りへの厳しい反応にも屈せず、山本さんは美味しいパン作りを追求し続けてきました。多くの人に認められるようになったのち、コロナ禍で新たに挑んだのは、岩見沢市の学校給食で6,000人分のパンを製造することでした。
ーーどういった経緯で、学校給食のパンの製造はスタートしたのですか?
山本:2020年に当時の製パン業者が廃業し、岩見沢市から委託製造の依頼を受けたんです。依頼を受けたのはいいものの、小さなベーカリーが簡単にできることではなかったですね。
一度に6,000人分のパンを毎週焼き上げ、袋詰めして学校に送り届ける。これは想像を超える大変さでした。
ーーパンの製造から各学校へ届けるとなると、かなり大変そうですね。
山本:何よりもコロナでカンスケ自体が疲弊していた時期だったので、物理的に金銭的に不可能な事業でした。それでも「キタノカオリ小麦100%の給食パン」を実現したかった。
自分がやらなければと、奔走しました。メーカーに機械を予約して、搬入時期も決まり、人員も増強して、工場内に空調設備も入れて・・準備を進めていたところに、直前で融資を断られてしまったんです。
4月から給食が始まるのに、1月になって「ダメです」と言われて。もう終わりだと思いましたね。

山本:最後の最後は、札幌の日本政策金融公庫の担当者を説得しました。「僕がやらなきゃダメなんだ。絶対に成功させて恩返しをするんだ。だから貸してください!」って。情熱と熱意で押し切ったら伝わって、「わかりました」って。
金融機関は全部だめだったので、国に掛け合うしかなかったんですが、最初はダメだと言われました。「返済できる目処がたたないので無理です。給食パンは儲からない」と。でも、やる価値があることはわかっていたので、なんとか説得しました。
かなりの人を巻き込んだので、もう必死の覚悟でしたよね。
ーー聞いていてハラハラしました。
山本:普通はあり得ない、特例らしいです。
審査が通ってからは工事、搬入、一気に動き出しました。でもギリギリで、1週間遅れてたら間に合っていなかったという状況。当時は生きてる心地がしなかったですね、寿命が10年くらい縮まった気がします。笑
たくさんの方の応援や励ましで、キタノカオリ小麦100%の給食パンが復活して、カンスケで製造できています。できあがったパンは、就労継続支援B型施設※で仕分けしてもらい、給食専用のトラックで運ばれていきます。
この仕組みもみんなで一から作りました。約半世紀続いていた仕組みがあったので、それを変えるのは簡単なことではありませんでしたが、誰かがやらないと。就労支援に通っている方の社会復帰につながる、最高の仕組みだと感じています。
日本一の小麦で6,000人の子どもたちに毎週パンを作ることは、私にとって生きがいです。もしかすると、人生で一番やりたかったことかもしれない。子どもたちの成長の一翼を担うのは責任がありますけどね。何より自分の心がワクワクします。
子どもたちから「おいしくなった」という声ももらえて、こんなに地域のためになる仕事ができて、感謝の気持ちでいっぱいです。
※就労継続支援B型は、年齢や体力などの面で雇用契約を結んで働くことが困難な方が、軽作業などの就労訓練を行うことができる福祉サービス。

パンで叶える持続可能な地域づくり
美味しいパン作りから給食まで、紆余曲折を乗り越え歩んできた山本さん。ベーカリーを営むかたわら、10年前から「パン甲子園」を開催し、次世代を育成しています。キタノカオリを使ったパンを通じて活動の幅を広げる山本さんが、これから描きたい未来とは。

ーー10年前から開催されているパン甲子園は、どんなイベントなのでしょう?
山本:パン甲子園は、北海道内の高校生にキタノカオリを使ったパンを考案してもらい、製造から企画発表までの総合評価で競うコンテストです。若い世代がパンづくりを通じて、道産小麦の魅力を高め、地産地消を考えるきっかけになれば、と思って始めました。
審査で特に重視しているのは地域性です。生徒たちは自発的に、地域に根付いている農作物や生産者への理解を深め、「そのまちらしさ」をパンで表現してくれます。それって、地域の農家さんも嬉しいですし、高校生も「どうすれば優勝できるか?」という過程の中で、色んな学びがあるはず。

山本:パン甲子園以外にも、商品開発やイベントなどをたくさん行ってきました。そんな中で「将来は山本さんみたいな大人になりたい」と言われたことがあります。その子は、私が養護学校の授業で半年間教壇に立っていた時の生徒。一生忘れられないひと言ですね。

ーーさまざまなチャレンジをされてきた山本さんですが、今後の夢はありますか?
山本:道の駅を作りたいんですよね。岩見沢って札幌や千歳、旭川からちょうど良いドライブの距離。米や小麦のように道内で生産量上位を誇る農作物があるんですが、意外と認識されていないんです。
「食の生産拠点のまち」ということにもっと誇りを持てるように、観光や物販の中心となる場所を作れたら良いなと思います。私はパン屋なので、キタノカオリという世界に誇れる小麦の良さをパンで伝え続けたい。
これからも美味しいパンを焼き続けて、パンとともに生きていけたら、最高ですね。

2022年から、ふるさと納税のパン部門で上位を記録しているベーカリーカンスケのパン。多くの方々に喜ばれている理由は、豊富なパンの種類と小麦本来の風味が感じられる美味しさにあります。
最後に、山本さんにパン作りへの原動力をうかがうと、「パンを通じて食を豊かにするという、揺るぎない思い。何もしないでいるより、方向が曲がりくねってでも進んでいる方がいい。」と言います。そこには、「自分が良いと思うものを信じて前進させる」という仕事の哲学がありました。
奇跡の小麦が少しずつ認知されるようになった今、山本さんはキタノカオリのパンの更なる発展を見据えて、これからも歩みを進めていくことでしょう。

店舗情報
ベーカリーカンスケ
北海道岩見沢市五条西2丁目4-1
tel. 0126-24-2840
営業時間:土曜日 10:00~15:00