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三笠に根付き60年。中村鮮魚店から生まれる出会いの環

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三笠に根付き60年。中村鮮魚店から生まれる出会いの環

三笠市事業者の想い

文:本間幸乃  写真:斉藤玲子
 
「帰ってきたよ」とホッとする。「また帰ってこよう」と力が湧いてくる。生まれ育った土地には、特別な空気が流れています。
かつて炭鉱まちとして栄えた地、三笠。まちは時代のうねりで変化を余儀なくされましたが、中村鮮魚店は60年間変わらずに、三笠で商店を営んでいます。
地域の声に応えながら歩んできた、中村鮮魚店の物語。3代目代表の中村剛さんにお話をうかがいました。

「タブーなし」の鮮魚店から生まれたジンギスカン

主要道道「岩見沢三笠線」の中通り沿い、三笠市の中心部にある中村鮮魚店。取材当日の平日午後も電話や来店が途絶えません。
軒下には「鮮魚店」でありながら、旬の野菜や果物がずらりと並んでいます。

店内には食べやすいよう加工された魚をはじめ、三笠の郷土料理である「なんこ」(馬の腸を味噌などで煮込んだもの)などの惣菜、調味料や乾物、お肉までもが揃っています。
まずは豊富な商品を揃えるに至った背景について、うかがいます。
 
ーー創業の経緯を教えていただけますか。
 
中村:60年前に祖父が開業しました。祖父はかつて炭鉱で栄えた幾春別(いくしゅんべつ)で商売を営んでいたのですが、閉山を機に拠点を三笠に移して、始めたのが中村鮮魚店です。
 
魚屋としてスタートしたものの、時代の流れとともに鮮魚の需要が減り、野菜や三笠メロンをはじめとした果物、惣菜類も取り扱うようになりました。

取材で伺ったのは10月上旬。りんごやぶどう、ジャガイモなど、近隣で採れた野菜や果物が目を惹きます。
取材で伺ったのは10月上旬。りんごやぶどう、ジャガイモなど、近隣で採れた野菜や果物が目を惹きます。

中村:取り扱う商品は増えましたが、一番納品数が多いのはいまだに魚類なんですよ。現在は店頭販売ではなく、近隣の老人ホームやグループホームへの納品がメインです。
 
ーーお肉類を扱い始めたきっかけは?
 
中村:15年前、三笠で唯一の肉屋さんだった「熊谷精肉店」の閉店がきっかけでした。
 
ある日、熊谷さんから「中村君、ちょっと肉やんない?」と相談されまして。「店は閉めるけれど、施設への納品を辞めるわけにはいかないから、引き継いでほしい」という話でした。食品を扱う仕事に携わっていて、包丁の技術がある者ということで、当時の僕にお声がかかったのだと思います。
 
ちょうど魚類の需要減少に伴って、事業の先行きに不安を感じていた頃でした。当時の代表だった父をはじめ家族の協力もあり、熊谷精肉店の納品を引き継ぐ形で、肉類を扱い始めました。
 
そのとき一緒に譲り受けたのが、ジンギスカンです。
作り方を教わったのは一度きり。レシピもなく、最初は「熊谷さんの味を再現しよう」と試行錯誤しましたが、商品開発を進める過程で「中村鮮魚店の味」を目指すようになりました。
 
ーー「中村鮮魚店の味」にはどんな特徴があるのですか?
 
中村:「甘み」ですね。りんごと玉ねぎをたっぷり入れた、甘めの味付けに仕上げています。
ジンギスカン肉単体でも食べやすい味付けにしたくて。家族で材料を試行錯誤して、お客さんに味見してもらい、イベント販売から始めたんです。完成まで3年ほどかかりました。
 
うちにはタブーがないんです。肉屋には肉屋の、魚屋には魚屋のルールがあると思いますが、うちは肉、魚、青果、食品の全てを扱っているので、色んな要素を混ぜ合わせながら商売ができるんですよね。
 
だからジンギスカンの味付けもタブーがない。まずは自分たちがおいしいと思うものを、と出来上がったのが「ツヨジン」です。
 
おかげさまで「食べ飽きない味」と好評です。ご飯にのっけてもおいしいし、「締めにうどんを入れてもおいしい」という声もいただいてます。

続く人口減少のなか、唯一無二の存在を目指して

お肉屋さんの事業を継承した後も、中村鮮魚店は町の人との繋がりを軸に、三笠に根付いた商売を続けてきました。
「なるべくノーとは言いたくない」と市内を飛び回る剛さんですが、20代後半まで家業を継ぐことは考えていなかったと言います。
 
ーー剛さんが家業に入るきっかけは何かあったのでしょうか。
 
中村:もともと継ぐ気は全くありませんでした。札幌の大学に進学して、そのまま就職、結婚して。もっと都会に行きたくて、ずっと会社に異動願いを出していたんです。「そろそろ転勤かな?」というタイミングで、大手量販店が三笠から撤退したことを知りました。僕が27、8歳のときでしたね。
 
そのとき父から「ちょっと帰ってきてくれないかな」という話をされて。市内に複数あった量販店が閉店したことで、店が忙しくなったんでしょう。
 
父から初めて頼みごとをされて「本当は戻ってきてほしかったのかもしれない」と気がついたんですよね。幼い頃から見てきた仕事だったし、三笠は慣れ親しんだまち。さらに子どもが産まれたばかりだったこともあり、子育て支援に力を入れている三笠で暮らすのもいいんじゃないかと思いまして。妻の賛成もあり、家業に入ることを決めました。
もう20年ほど経ちますが、つい最近のことのように感じます。

ーーこの20年間でお肉を扱い始めたり、ジンギスカンを作ったりと様々な出来事がありましたが、中でも苦労されたことはなんでしょうか。
 
中村:三笠の人口がどんどん減っていくことです。
昔は店の前をたくさんの人が歩いていたイメージがありましたが、札幌から帰ってきたときにはもう、まばらになっていました。
 
そこからさらに1年1年、人がいなくなっていくのを肌で感じるんですよ。この20年間の人口の減り具合は、恐怖を感じるほどです。
 
かつて炭鉱まちとして栄えていた三笠市の人口のピークは、1960年の57,519人。以降減少の一途をたどり、2000年時点では13,561人、2020年には8,040人に。
売り上げを維持するための打開策は、中村鮮魚店の強みを活かし、自ら動くことでした。
 
中村:このまま何もせずにいたら、売り上げは下がっていく一方。店を続けていくために、扱う商品を拡げる道を選びました。だから肉屋さんの継承は有難い話でしたね。
 
肉でも魚でも、前日までに必要な量を伝えていただければ用意しますし、魚ひと切からでも配達します。お客さんからの依頼にはできるだけ応えたいので、フットワークは軽く。
 
「中村さんに頼めば来てくれるだろう」「とりあえず電話してみよう」と、三笠に住む人が最初に頼る「第一の選択肢」を目指して動いています。
 
ーー三笠の一次窓口になっているんですね。
 
中村:なれていたらいいな、って思ってますね。

三笠で出会う喜びを守り続けたい

「お客さんが喜んでくれるのが一番だから」という剛さん。商売を続けていくなかで、三笠への想いにも変化があったと言います。
 
中村:生まれ育ったまちである三笠を盛り上げたい、という想いは強くなりました。少しでも地域の役に立てることがあれば、協力したいと思っています。
 
ふるさと納税の返礼品に「ツヨジン」を出したのは、市役所の方から「タンパク質が足りないんだよ」という相談を受けたことがきっかけなんです(笑)
市役所も商工会も、三笠を盛り上げようと奮闘しているので、これからも自分にできることで貢献したいですね。
 
ーー剛さんが三笠の人や場所を繋いで、循環させているイメージを抱きました。
最後に剛さんにとって、中村鮮魚店とはどんな存在ですか?
 
中村:絶対守っていかなきゃいけないもの。「中村鮮魚店はもうダメだ」となることは、絶対に避けないといけない。
自分が働けなくなる最後の最後まで、この店を続けてたいんですよね。
 
ーー札幌で働いていた頃の「もっと都会に行きたい」という気持ちから、どうしてそこまで変化したんでしょう。
 
中村:三笠に戻ってきてから色んな人と出会って、繋がって‥それが楽しいんですよね。市場にいる仲間と会えることが楽しいですし、家族と働けることが楽しいですし、お客さんと話せることが楽しいんです。
 
人と会えることの楽しさが、ずっと続いてる。だからこのかけがえのない時間を守りたい。
これからもずっと、人と会うことを楽しみながら生きていきたいですね。

取材後、自宅で「ツヨジン」を焼くと、漂うラム肉の香りに懐かしさがこみあげました。思い出したのは、休日に家族で囲んだ、ジンギスカン鍋の記憶。
ひと口食べると、フルーティな甘みがラム肉と相性抜群でした。
 
思わず誰かにおすすめしたくなる「ツヨジン」を生み出した中村鮮魚店。これからも三笠の地で、人と人を繋いでいきます。

店舗情報

中村鮮魚店
〒068-2153
北海道三笠市幸町7-11
電話:01267-2-2460

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