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どんな環境でも生み出していける 南相馬でゼロから100のビジネスへ

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どんな環境でも生み出していける 南相馬でゼロから100のビジネスへ

南相馬市プロジェクト

文:高田江美子 写真:鈴木宇宙

2011年3月11日に発生した東日本大震災。東京電力福島第一原子力発電所の事故により、福島県南相馬市小高区では、全住民1万2,842人(当時)が避難を余儀なくされました。当初予想されていた帰還者は10%ほど。2016年7月12日に避難指示が解除されたのち、徐々に住民たちが戻り、現在は7,246人が小高区で暮らしています。(2020年6月30日時点)

かつて、人口ゼロとなった南相馬市小高区ですが、現在、県内外から様々な起業家や若者たちが集まり、新しい挑戦が生まれ続けています。そのパイオニア的存在が、株式会社小高ワーカーズベース代表取締役の和田智行さんです。

課題が沢山ある=ビジネスを生み出せる可能性がある

「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」というミッションのもと、2014年に南相馬市小高区で創業した和田さん。自治体と協同で起業家の誘致・育成事業を行うなど、小高区で新たなビジネスに取り組んでいます。
南相馬の起業家たちにとって先導者的存在である和田さんに、お話をうかがいました。

――現在、小高区でどういった事業に取り組まれているのでしょう?


和田:現在は、ハンドメイドガラス事業とコミュニティ創出事業という2本の柱があります。

ハンドメイドガラス事業は、地域住民の女性たちの雇用創出を目指したガラスアクセサリーの製造・販売を行っています。コミュニティ創出事業は、1つが「NexCommons Lab 南相馬」という、起業家の誘致・育成事業。もうひとつが、起業家や企業の人たちのための活動拠点となるコワーキングスペースの運営です。

ガラスアクセサリーの製造をおこなう地域の女性たち(写真提供:小高ワーカーズベース)
ガラスアクセサリーの製造をおこなう地域の女性たち(写真提供:小高ワーカーズベース)

Next Commons Lab 南相馬は、南相馬市役所の地域おこし協力隊担当部署との協働で、ソーシャルプロトタイピングチームの一般社団法人Next Commons Lab を誘致し、2019年に立ち上げました。最初は、地域で起業家たちのサポートをするためのコーディネーター3名を採用。その後、プロジェクトに取り組む起業家を募集しました。
コミュニティブルワリー、ホースシェアリングなど、8つのプロジェクトを事業化し、新しいライフスタイルや持続可能な事業の在り方を試行錯誤しながら実践しています。
南相馬市役所とは、スタート時の組織体制作りや、人材募集などに奔走しました。現在も、メンバーの起業サポートなど、市の担当者と協働で取り組んでいます。

写真提供:小高ワーカーズベース
写真提供:小高ワーカーズベース

コワーキングスペースは、ゲストハウス併設型の「小高パイオニアヴィレッジ」と、マチ・ヒト・シゴトの結び場「NARU」があります。
小高区や周辺地域をフィールドに、事業創出を目指す人たちのために「切磋琢磨しあえるコミュニティを作りたい」という思いからできたのが、小高パイオニアヴィレッジ。
南相馬市からの委託を受けて運営する「NARU」は、子育てや親の介護等で働きたくても働けない方、何か新しいことを始めたいと思っている方、まちの活性化に貢献したいという想いを持った方が一歩を踏み出すための後押しができる自由なスペースを目指しています。

東京で起業し、2005年7月にUターンしたという和田さん。リーマンショックで会社に大打撃を受け、浮上出来ずにいた時、追い討ちをかけるように起きたのが東日本大震災でした。

――小高区で起業するまで、どういった道を歩んでこられたのでしょうか?


和田:大学進学と共に上京し、東京でITベンチャーを起業しました。もともとUターン前提でしたが、帰ってもやりたい仕事が無いので困ったな・・と。

悩んだ末にたどり着いた結論が「起業するしかないな」でした。当時はIT関連の仕事だと、地元では食べていけないだろうと考え、「会社は東京。生活は地元」というスタイルを選択しました。今でいうリモートワークですね。

震災の時は、会社自体は東京だったので大きな被害はなく、元々リモートワークだったということもあって、避難先の会津若松市で変わりなく仕事を続けました。一方、住まいがあった小高区は、いつ戻れるのかわからない状態。ふたたび東京に住むことや海外や離島への移住など、色々考えましたね。

――それでも、小高区に帰ることを決断した背景には何があったのでしょうか?

和田:当時、避難先から小高区に通ってましたが、現状を見ていると、とてもとても帰って暮らせるものではありませんでした。

ですが、避難区域が再編され、自由に立ち入れるようになるというタイミングで、妻が「いずれ解除になるなら戻ろうよ」と言ってくれたんです。地元で家業を営んでいた両親も早々に再開準備を始めていて。「みんな戻るなら、戻ろうか」ーーそんな感じでした。

戻ると決めた時、今までのようなITベンチャーの仕事を小高でするのは違うな、やりたくないなと。「じゃあ、どうやってここで食べて暮らしていこうか」と考えていく中で、この地域には課題がたくさんあるんじゃないかと思ったんです。

「課題がものすごく沢山あるということは、色々なビジネスを生み出せる可能性があるな」と気づいて。「これは帰ってやるしかない」と決意しました。

――そこから「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」というミッションに繋がっていったんですね。

和田:そうですね。そういった状況や思いを経て、2014年に小高区で創業しました。まずは、小高駅前にWi-Fiが使用できるコワーキングスペースを創ることからスタートして。
飲食店や買い物ができる施設がなかったので、地元の主婦による食堂「おだかのひるごはん」や、南相馬市からの委託を受けて仮設の小売店「東町エンガワ商店」をオープンさせました。

写真提供:小高ワーカーズベース
写真提供:小高ワーカーズベース

東町エンガワ商店では、住民の人が涙を流しながら「ありがとう」と、感謝してくださったんです。多少リスクを取ってでもやる価値があった、「やってきて良かったな」と実感しました。

現在は、おだかのひるごはんは間借りしていた双葉食堂さんが営業を再開したのにともなって、お返しして。スーパーマーケットのオープンに伴い役割を終えた東町エンガワ商店は更地となりました。

役割が終わったな、と思ったら事業を終える判断もします。別に赤字でも失敗でもない事業を辞めるという判断をすることは難しいし、葛藤もあります。ですが、金持ちになるために起業したわけではなく、ビジネスで課題解決をしたくて起業したので。役割を十分果たしたと捉えて、次の事業に注力していきます。

持続的に暮らすために大切なのは、どうビジネスにつなげていくか

被災地である地元に戻り、ビジネスをスタートした和田さんの心には、「大きな企業に依存することなく、自立した地域を作っていかなくてはならない」という強い想いがありました。

――和田さんは、多岐に渡る内容の事業に携っていますが、大切にしていることはありますか?


和田:「被災地」というと、ボランティアベースでの参加だったり、自身のビジネスとは離れたところでの動きみたいなことを求められることがしばしばありました。特に震災直後においては。

けれど、この地で持続的に暮らしていくにはお金を稼がなくてはならない。何をするにしても「それをどうビジネスにつなげていくか」といった視点は、常に持つようにしていますね。

――事業を通じて、喜びを感じることはありますか?

和田:「それは無理だよ」と周りが否定することをやり遂げた時、反応が変化していくのが嬉しいですね。例えば、自分がここで起業すると行ったときは、当時は10人いたら9人が馬鹿にしたけど、今は馬鹿にする人はいない。ひとつひとつ出来たことの積み重ねで、何も出来ないと思っていたことが、はるか過去のことのようになっていきます。

自分の事業を通じて、周囲の反応の変化を体感できるのが喜びですね。

挑戦が先行き不透明な社会で生き抜く力になる

――困難と言われる状況の中で、和田さんは様々な事業に挑戦し、成功しているように見えます。

和田:おっしゃる通りで、順風満帆に全て成功しているように見られることもあります(笑)。実は上手くいかないことも沢山あって苦労しているけど、成功するまでやり続けいるという感じですね。それが、外からは成功しているように見えるのだと思います。

取り組む事業に対しては、成功させるという信念も、成功できるという確信もあります。今のところ、状況が悪いという理由でやめた事業はないんですよね。ただ、そこまでには時間が掛かるというだけのこと。事業が厳しくなってきたときに止めることを選択せず、試行錯誤しながら取り組み続けてきました。

――挑戦し続けるエネルギーはどこからくるのでしょう?

和田:他の人がやらないことをひたすらやり続けていく方が面白いし、それが地域のためになる。最終的にはそのチャレンジが「自分自身がどんな環境の変化の中でも事業を生み出していける」という力になっていくと思っています。

そういった力を身に着けることが、この先行き不透明な社会で生きていくための、一番大きな資産になるのかなと。だから、どんどん業種にこだわらず、新しい事業に取り組んでいこうと考えています。

「自分が理想とするまちにしたい」「欲しい暮らしを作っていく」その結果、小高のためになっていたら嬉しい。ーーそんな思いで、事業に取り組む和田さん。プレッシャーよりも、自分自身が変化を楽しみながら、日々あらたな事業に邁進しています。穏やかな雰囲気とそれに反して内に込める熱い想いが、沢山の人を惹きつけるのだと感じました。

「仲間を増やすことで創出するビジネスを増やす」という和田さん。これからどんな課題を見つけ、どんなビジネスを作っていくのでしょう。南相馬で和田さんが切り開いた道を礎に、これからも挑戦の波が広がっていきそうです。

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