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変わらない味を守りつづける使命 廻り道してたどりついた 名物「かにめし」の一本道

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変わらない味を守りつづける使命 廻り道してたどりついた 名物「かにめし」の一本道

長万部町事業者の思い

文:高橋さやか 写真:斉藤玲子

長万部の代名詞ともいえる名物「かにめし」。その草分け的存在である「かにめし本舗かなや」は、1928年の創業から駅弁を販売。試行錯誤を重ねながら、1950年に「かにめし」を完成させて以来、変わらぬ味で日本各地の人々に愛され続けています。時代の変化の中で伝統の味を守り続ける、(有)かにめし本舗かなや四代目の金谷圭一郎さんに、お話をうかがいました。

かにめし本舗
かにめし本舗

時代の変化を読み取ってきたかなやの歴史

初めてかにめしを食べたのは、修学旅行の列車の中。フワッと香ばしいかにに、白いご飯がこんなに合うんだ!と感動しながら、夢中で食べたことが今でも脳裏に焼きついています。50種類以上もの試作を重ねてできあがったという、かなやのかにめし。創業以来、時代に合わせ柔軟に変化してきたかなやの歴史をひもときます。

ーー1928年にかなやが創業されてから、これまでどのように歩んできたのでしょうか?

金谷:もともと祖父の時代に駅弁からスタートしました。
1928年に現在の室蘭本線が開通し、たくさんの人を乗せた列車が行き交っていたんですね。当時、長万部駅での停車時間が長く、そこに着目した祖父が仕出し弁当の販売をはじめました。これが、長旅で疲れた人たちにとても喜ばれたそうで。
駅ホームでの売れ行きがあまりに良かったことから、1943年に「長万部駅構内立売商会」を設立。これが今の「かにめし本舗かなや」の始まりです。

長万部駅ホームに立つ売り子達(昭和10年) 写真提供:(有)かにめし本舗かなや
長万部駅ホームに立つ売り子達(昭和10年) 写真提供:(有)かにめし本舗かなや

その後、戦後の食糧難を迎えると、食材の入手が難しくなっていきました。そんな中でも、「せめてお腹をいっぱいにしてあげることはできないか」と祖父が模索し、地方の食糧事情を知るために出張したんです。
その留守中に、噴火湾で大量の毛がにが漁獲されたニュースを耳にした祖母が、「毛がにを塩ゆでして売ってはどうだろう」と。「煮かに」の販売を開始しました。
ただ、「煮かに」を販売できるのは、毛がにの旬である夏だけ。1年を通して販売できるものを模索していった結果、誕生したのが「かにめし」でした。
その後、駅弁の販売だけでなく食堂もオープン。1962年頃からは、観光ブームに乗ってドライブインをてがけ、バス旅行者向けの食事をつくりはじめたのが2代目です。デパートでの催事にも出店するようになりました。

列車内で煮かにを楽しむ人たち
列車内で煮かにを楽しむ人たち
かにめし作りの様子 写真提供:(有)かにめし本舗かなや
かにめし作りの様子 写真提供:(有)かにめし本舗かなや

金谷:今は、長万部に来てもらうということが難しくなってきたので、僕は自分の足で届けようという方向でやっています。安全、衛生を徹底して、受け継がれてきた品質を守ろうと。
過去のエピソードですが、余命3ヶ月のおばあちゃんが「最後にかにめしを食べたい」と言っている、という話を聞いて届けたり。イタリアのトリノに旅立つという女性のために、羽田で待ち合わせてお渡ししたり。そういうことを2代目の頃まではやっていたんですね。
普通のお弁当だけだと賞味期限がその日限り。催事、冷凍、通販など、できたてを食べるよりは落ちるけど、「かにめしを求めてくれる人に届けるにはどうしたら良いか」を考えて取り組んでいます。

避けてきたかにめしの道

時代とともに、変化をつづけながら「かにめし」を受け継いできた「かなや」。創業一家で育った4代目の金谷さんは、どのような道を歩んできたのでしょうか。
ーーかにめしの家で育ったわけですが、子どもの頃から継ごうと思っていたのでしょうか?


金谷:子どもの頃は、まったく。どちらかというと、避けてきましたね。中学校までは長万部で過ごして、高校は札幌へ。神奈川にある大学へ進学して、そのまま土木関係の会社に就職しました。

長万部には父が病気で倒れたタイミングで、戻ってきました。継ぐ人間が僕しかいなかったので。サラリーマン時代には、人の仕事に貢献しようと思ってやってきたので、それを家のためにやるのもいいんじゃないかなと。

ーー避けてきた道に戻ってきたことで、大変なこともあったのではないでしょうか?

金谷:親父が残した負の遺産をすべて解消するまではしんどかったですね。バブルが弾けてから経営難だったのが、さらに落ち込んで、資金難になり。一時は、倒産寸前でした。

2008年に中小企業経営承継円滑化法という、事業承継円滑化のための総合支援策ができたんですけど、ちょうどその時が一番悪くて。銀行さんだったり多くの方の支えもあって、経営を洗い直して、2013年からなんとか黒字化しています。

当時は、生活自体が不安だし、だからと言ってその顔を従業員には見せられない。甘いことを言ってくる人もいたりね。その一方で、いい人たちにも出会うことができました。

意外なタイミングで訪れたターニングポイント

ーー負の遺産を引き継いで、私だったらしんどくて、心が折れてしまいそうです。どうやって気持ちを保ったんでしょう?

金谷:ONE PIECE(ワンピース)見たんですよ。

ーーワンピースですか?アニメの?

金谷:そうです。子どもが「お父さん一緒にみようよ」って。その時は、そんな気分じゃなかったんですけどね。

何気なく見ていたら、主人公の海賊王を夢見る少年が「おれは剣術を使えねェんだコノヤロー!航海術も持ってねェし!料理も作れねェし!ウソもつけねェ!おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!」と言ってて。この言葉を敵に蔑まれて笑われた主人公が次に言った言葉が、「何もできねぇから、助けてもらうんだ!」だったんです。これが心にグッときて。

当時、経営や労務、資金繰り・・いろんなことを抱えていて。必死で、肩肘張ってたやってたんですよね。「あ〜なんで思うようにいかないんだ」って、自分を責めていた中で、ワンピースのこのシーンに出会って。いつ、どこで、何が心に響くかっていうのはわからないですよね。

「あ、そっか。僕が全部はできないから、料理ができる人、経理ができる人、それぞれできる人を雇っているんだ。僕ができないからみんなにお願いしてるんだ」と気付きました。

意識のターニングポイントですね。自分だけが頑なになって頑張ってた頃は、従業員も手をだせなかったんです。「世の中こんなもんか」と思っていたこともあったけど、自分が肩肘貼ってつっぱってたんだなと、今は思います。

自分の意識が変わって、周りにも伝えたことで、力になってくれる人がまわりにたくさんいて、うまく回っていくようになりました。

大変な面倒くさいことこそ人間が

様々な人たちの支えや、従業員の方達の協力もあり苦境を乗り越えてきた金谷社長。今年70周年を迎えるかにめしは、これからどうなっていくのでしょうか。
ーー仕事の中で喜びを感じることってどんなときでしょう?


金谷:「おいしい」「やっと買えた」「変わんないね」という声が一番嬉しいですね。喜んでくれてる人がいると、それが自分の喜びになります。

変えない大変さってあるんですよね。変わらないものなんてないじゃないですか。かにも米も物価も変わります。その中で多少の微調整をしながら、お客様がお金を出しても大丈夫というレベルをキープしなきゃいけないんです。

食味や菌の検査も毎回しています。品質が保たれない場合には、納品先にも細かい部分まで口を出しますし。本来、納品先に意見をいうなんてご法度ですが、僕が言わなかったら、従業員無駄死にですもん。
うちは、かにめしがなくなったら倒産だから、そのぐらいしますよ。

ーーその強い覚悟はどこからくるんでしょう?

金谷:名物と呼ばれるものは、育てていかなきゃいけない。良い悪いの波はありますけど、悪くなったからといってポイっと捨てるようなものじゃいけないんです。
戻ってきたばかりの時は、「かにめしに次ぐ何かを」と息巻いていたこともありましたけど。今は、かにめし一本でという覚悟ができました。

あとは、僕自身、嫌われたり、批判されたりすることが、怖くなくなったからというのはありますよね。世渡りが下手なのかもしれないですけど。51人が賛成してくれれば、49人に反対されてもいい。田舎で生き延びていくためには、まずはブレちゃダメ。自分がブレたら終わりです。

ひとつの商品にこれだけ神経を使っているので、それを何品も・・って僕にはできないですね。だから、たくさん商品を作ってるところって素晴らしいなと思います。

ーーかにめし一本でという覚悟ができた今、これからの展望は?

長万部を知らない人にも、「あ、かにめしの!」と言ってもらえるようにしていきたいですよね。「あの町にはあれね」とイメージされるように。かにめしは今年で70年。100年にはしていきたいなと思っています。

かにはかにのまま売った方が高く売れるし、そのまま食べて十分美味しいんです。
でも、うちの商品て、かにをむいて、炒めて水分飛ばして、塩胡椒して、ご飯に乗せることで「かにめし」という美味しさになる。そういう商品なんです。

AIやテクノロジーが進化していく中で、「大変な面倒くさいことこそ人間が」っていうんですかね。70年ずっと従業員がバトンを受け継いでやってきたものを大切につないで行きたいですね。

「炒めたかにって、こんなにご飯にあうんだ。こうやって食べたらおいしいんだ」というのを、かにめしを通したメッセージとして届けていきたいですね。

自身を、「社長というより一労働者で兼社長」と表現していた金谷社長は、終始「従業員のみんながいるから、かなやは成り立っているんだ」と口にされていました。
「かにめしとは?」という私の無茶ぶりな質問に、戸惑いながら「祖父から預かった子どものようなもの。守って育てて行かなきゃいけないものなんだけど、自分が産んだものじゃなくて託されたもの。ですかね」と答えてくれました。
かにめし誕生100年に向けて、変わらぬかにめしの味をかなやは守り続けていきます。

写真提供:(有)かにめし本舗かなや
写真提供:(有)かにめし本舗かなや

会社情報

かにめし本舗かなや
北海道山越郡長万部町字長万部40-2
TEL:01377-2-2007

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