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マチへの愛を力に変えて。橋詰産業が届ける雄武の宝

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マチへの愛を力に変えて。橋詰産業が届ける雄武の宝

雄武町事業者の想い

文:髙橋さやか 写真:高橋洋平
 
海、山、川、ゆたかな自然に囲まれた雄武町。豊富な海の宝と山の宝が自慢です。雄武の地域資源を生かした「昆布うどん」や「韃靼そばコロッケ」などの特産品を開発し、道内外に届けている橋詰産業株式会社。町を愛し、魅力を届けようと奔走する、橋詰産業株式会社 代表取締役の橋詰啓史さんに、地域への思いとこれまでの歩みをうかがいました。

酪農から運送、コンクリート、そして食品へ。

古くから林業と漁業により栄えていたという雄武町。明治初期には雄武村が設置されました。雄武に定住した祖先から4代目という橋詰さんは、「開拓で苦労した先祖の思いを忘れないようにしなければ」と語ります。林業と酪農を営んでいた橋詰家は、時代に合わせてさまざまな事業を手がけてきました。
 
ーー橋詰産業の歩みについて教えていただけますか。
 
橋詰 曽祖父は林業を営み、祖父から軍馬の生産と酪農をはじめました。父の代に長く酪農を営んでいましたが、1964(昭和39)年に(有)雄武牛乳運送社を設立し、運送業をスタートしました。当時は日本列島改造論の時代。あちこちで公共事業が増え、徐々にセメントなど牛乳以外の運送が増えていきました。 1973(昭和48)年には生コンクリートなどを扱う雄武レミコン(株)を設立。後に橋詰産業(株)を創業しました。次々と事業を手がける中、父にはかなり苦労もあったと聞いています。
 
ーー時代に合わせて変化してきたのですね。現在は道の駅の売店運営も手がけていますが、それはどういったきっかけで?
 
橋詰 :現在、道の駅になってる建物は、当初は町の交流センターとしてつくられたんです。1998(平成10)年に道の駅として登録されることになり、売店があった方がいいだろうと。「誰かやらないか?」という話になり「うちやるわ」と、手をあげました。

ーーそこで手をあげたのは、どうしてですか?
 
橋詰 :町が困っているのがわかっていたんです。「売店があったらいいな」と、私自身も思っていましたし。「私が運営の中心になるから、みんな力を貸してくれ」と声をかけ、町から使用許可を受けて3〜4人の仲間と共同で運営することにしました。シャッターも水道も自費で。 最初は赤字でしたけど、思いはありましたね。
 
道の駅売店「いっぷく家」最初のいちおし商品は、「韃靼そばコロッケ」「オホーツク海鮮茶漬け」「オホーツク海鮮ふりかけ(鮭)(ホタテ)」などでした。これらは、2007年(平成19年)に町商工会の会長を筆頭に、理事や会員など20名の出資によって設立した「雄武の食卓LLP」ブランドの商品です。商工会の特産品開発事業として、北見食品加工技術センターの協力を得て開発しました。
 
さらに2012(平成24)年頃にはイートインスペースを設置。その場で蕎麦やうどんを食べられるようにしました。

初めての商品開発で痛感した売ることの難しさ

道の駅での売店運営とともに、橋詰産業は食品製造にも進出。雄武町の食材を生かした商品開発にも乗り出しました。町への思いを込めた商品ができたものの、橋詰さんは売ることの難しさに直面したのです。
 
橋詰 : 2008年には食品部「はしづめ屋」を新設し、食品製造もスタートしました。商工会の特産品開発の補助金を活用し、昆布や鮭を組み合わせた「生ふりかけ」を開発したんです。 北見にある食品加工技術センター協力のもと、レシピを作成してもらい、改良を加えて、 理想の味にたどりつきました。
 
当時、販路拡大や全国展開に際して国の特産品補助金があったんです。せっかく商品を開発しても、補助金をもらったらやめてしまう企業が多いと、コンサルタントの社長から聞いたんです。それがなんとも悔しくて・・。
補助金ありきでつくって終わりではなく、特産品として長く販売できる商品を目指しました。

ーーできあがった商品の反応はいかがでしたか?
 
橋詰:いざ、商品ができて売りに行ったものの、売れないんです。
東京で開催されたジャパン・インターナショナル・シーフードショーや、スーパーマーケット・トレードショーなどの見本市に出展したり、練馬祭り、八王子いちょう祭り、渋谷西武の催事などあらゆるところに出展したんですけどね。
 
本当に売れなかった。売ることの難しさを痛感しましたね。
 
展示会でバイヤーさんと名刺交換をしても、なかなか取引につながらず、意気消沈していました。それが、ある時偶然の巡り合わせがあったんです。東京の総合商社であるナラサキ総合サービスの宮川社長と出会ったのです。「北海道ですね」と話が盛り上がって。催事向けの食料品製造販売をしている会社を紹介していただき、生ふりかけが売れるようになりました。
 
さらに大阪、京都の会社など、今に続く取引先をいくつもご紹介いただいて。良い出会いでしたね、やっぱり。

ーー 人との出会いが今もつながっているのですね。商品の中で特に思い入れのあるものはありますか?
 
橋詰 :個人的には韃靼そばコロッケと生ふりかけの2つですね。随分苦労しましたので。
韃靼そばコロッケは元祖として、「日本でここだけ」の商品をつくっていましたね。
機械を一切使わず、すべて手づくり。商工会の新旧会長や理事職員など10人ほどの皆さんで毎日500個ぐらいつくって売っていました。今はそばアレルギーの関係もあり、つくっていないんですけどね。
 
生ふりかけは「雄武の食卓」というブランドで、生茶漬けとともにシリーズ化もしました。何もわからないまま、商品開発して小売の世界に飛び込んでみたものの、売れない苦しさを味わいました。結構思い出深いですね。
 
お茶漬けは展示会に出品して、真似されたこともありました。自分たちが市場を確立せずに、製造能力のないまま展示会に行くと、さっと真似される。出展することのリスクも知りました。
 
そこから、「いかに真似されないか?」を考えて、ホタテを増量して差別化をはかったんです。そのおかげで10年ぐらい、結構売れましたね。 現在は製造が難しくなり販売していませんが、いい勉強になりました。

食品の製造・販売では苦い経験もありましたが、常に前をむき続ける橋詰さん。ふりかけで培ったノウハウを生かし、橋詰産業では現在、昆布の詰め合わせ商品やホタテ製品を製造しています。
 
橋詰 :昆布の詰め合わせは、刻み昆布、とろろ昆布、そのままの昆布の3点が入っています。ふりかけの原料だった刻み昆布を活用しました。
 
昆布製品は2010年頃から手がけていますが、力がありますね。雄武町で採れる利尻昆布は最高級です。信金や漁協、商工会などで立ち上げた「雄武の宝再発見!推進協議会」で、「流氷昆布」としてブランド化し、商標登録もしました。

橋詰 :昆布製品の製造過程ででる昆布の粉を活用したうどんも開発したんですよ。昆布ラーメン・昆布パスタなど、新たな商品も開発中です。
 
ホタテ製品は、なかなか手に入らない大きな干貝柱と、町からの依頼で2022年から冷凍ホタテもはじめました。冷凍ホタテは貝柱が欠けてしまったり、割れてしまったフレーク品です。丁寧に手作業でホタテ貝をむく中で、どうしても規格外が出てしまうため、フードロスを考えての製品です。味は折り紙付きですし、使いやすいと好評ですね。

若い人に住み良い雄武に

ーー次々とチャレンジされている印象ですが、原動力はどこからくるのでしょう?
 
橋詰 :雄武レミコンの事業がベースにあったのは、大きいかもしれません。昔から町の土台づくりに関わってきたことから、町が寂れないように、元気になってほしいという気持ちはずっと持っていますね。
 
31年前に、父が町長選挙に出馬したものの落選したことがありました。その時に、町のみんながすごく優しかったんですよ。「負けたけど、よくやった。頑張れ」って。それが嬉しくて、いい町だと思いましたね。私自身も2003年から町議会議員をやっていますが、その時の思いを忘れずに町に還元していきたいと思っています。
 
ーーありがとうございます。最後に今後の展望を教えてください。
 
橋詰 :雄武出身の若者が帰ってこれるような町にしたいですね。
周りに刺激を与えるような人たちがたくさん増えてほしいです。雄武で暮らす漁師さんや農家さん、そしてみんなが豊かになってほしい。
 
若い人たちが創業しやすい町をつくりたいですし、私は若い人を応援する年ですから。
自分が走るよりも、雄武の宝を若い人たちに伝えていきたいですね。

取材中にいただいたホタテの干し貝柱は、甘みと甘みがギュッとつまったおいしさ。いつまでも噛み締めたい味わいでした。「みんなに後ろ姿を見せたい」と語っていた橋詰さん。穏やかな口調の中にも雄武町への愛と情熱がつまっていました。

会社情報

橋詰産業株式会社
 〒098-1705
北海道紋別郡雄武町字南雄武265
TEL. 0158-84-3775
FAX. 0158-84-4710

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