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すべてはふるさとのために。60歳から始めた地域資源活用という恩返し

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すべてはふるさとのために。60歳から始めた地域資源活用という恩返し

稚内市事業者の想い

文:立花実咲 写真:嶋崎亜侑香

日本の田舎出身者は、よく「地元には何もない」と言います。けれど、本当にそうでしょうか? 都会になくて、田舎にしかないものは、ごまんと眠っています。

そばにあると当たり前にように思えるけれど、離れるとお宝に見えるもの。外と中の視点を持ちながら、地域資源に着目し、奔走している方がいます。都内在住の稚内出身者を集めたコミュニティ「東京稚内会」会長の小坂輝雄さんが、その一人です。

1992年に、消音装置を開発するアルパテック株式会社を東京で設立後、2012年には稚内で手がける事業を本格化するために、株式会社アルパを立ち上げました。現在は、東京と稚内を行き来しつつ、地元を盛り上げるために幅広いジャンルに挑戦しています。

ふるさとの基幹産業を守りたい

取材は、稚内のご自宅兼、(株)アルパの事務所でおこなわれました。飲み物や資料まで、細やかに準備をして、取材チームを迎え入れて下さった小坂さん。ふるさとを盛り上げるために、小坂さんが興してきた事業の一つひとつを、紐解いてみましょう。

── 小坂社長が現在進行形で進めている事業を教えていただけますか?

小坂
:2009年ごろから、ナマコとエゾバフンウニの養殖を始めました。あとは、稚内珪藻土を活用した商品開発。同じ時期から、東京稚内会の会長に就ています。

── 幅広いですね! ナマコとウニの養殖は、どういった経緯で始められたのでしょうか?

小坂:もともと漁師の生まれなもんですから、ずっと家の手伝いをしていましたし、沿岸漁業の問題点にも薄々気がついていました。漁業は稚内の基幹産業ですから、沿岸漁業にお役に立つようなことができればと思って、ナマコとウニの養殖を始めたんです。

── 問題点というのは?

小坂
:沿岸漁業は、どうしても機械化できないところがあります。それから、汚い、きつい、危険、の3Kと呼ばれる産業ですので、高齢化して後継者も減っています。さらに、温暖化で漁獲量が減って、ナマコはまだいいですが、バフンウニはほとんど獲れません。このままだと、稚内の漁業が廃れてしまう。これらの問題を乗り越える策として、獲る漁業ではなく育てる漁業を目指そうということで、養殖を始めたんです。

養殖用に開設したプレハブの実験室。ナマコとウニが温度管理されて育てられている(写真提供:小坂さん)
養殖用に開設したプレハブの実験室。ナマコとウニが温度管理されて育てられている(写真提供:小坂さん)

── 事業はうまくいったのでしょうか?

小坂
:ナマコはね、最初の2年くらい失敗しました。

── そうなんですか!

小坂
:私はもともと機械屋ですから、ど素人です。おとなのナマコは見たことあるけれども、どうやってふ化させて育てるのか分からない。だから2年くらい、勉強しました。

2013年にふ化が成功して、翌年に海に放流。そのあと5年間かけてナマコのふ化と養殖に関する情報を集めました。私がいなくても、他の人がふ化と養殖ができるように。

ナマコが終わったので次はウニを、と思っていたら新型コロナウイルスの影響で、東京と稚内の行き来ができなくなって。でも、今年(2021年)の夏は、しっかり時間を作って稚内に滞在し、データを集めたいですね。

実験室で養殖しているバフンウニは昆布を食べて育つため中身がきれいなオレンジ色。稚内の海は温暖化の影響で昆布が不作で、海の中のウニは身が悪く、赤茶色っぽいものが多いのだとか。
実験室で養殖しているバフンウニは昆布を食べて育つため中身がきれいなオレンジ色。稚内の海は温暖化の影響で昆布が不作で、海の中のウニは身が悪く、赤茶色っぽいものが多いのだとか。

自宅の裏山は実は宝の山だった!

── 養殖については、もともと稚内にある産業ですし納得なのですが、珪藻土はどういった経緯で……。

小坂
:これが、私が今一番取り組んでいるところなんです(と話しつつ資料を取り出す)。

焼結前と焼結された稚内珪藻土
焼結前と焼結された稚内珪藻土

小坂:もともとは2012年に、稚内珪藻土を大々的に売り出せるように製品開発を協力してくれないかと、声をかけられたのが最初です。これもまったく知らない分野だから勉強したんですよ。そうしたら、珪藻土って子どものころに、チョーク代わりに道路に落書きしていた石だと分かった。自宅の裏山が、ぜんぶ珪藻土でできていることも分かったんです。

── 裏山全部ってすごいですね!

小坂
:稚内の珪藻土には、大きな特徴が4つあります。他の珪藻土に比べて穴が細かく、穴の容積と表面積が4倍から5倍くらいある。だから、湿気をよく吸うんですね。これが一つ目。二つ目は、消臭効果があるということ。でもこれらの機能はふつうの珪藻土でもよくある程度持っているから、おもしろくない。これら以外の機能を探したら、遠赤外線効果と抗菌・除菌効果もあることが分かったんです。でも、まだ何か隠れてるんじゃないかと思いますよ。

──さまざまな特徴がある稚内珪藻土ですが、現在どのように活用されているんですか?

小坂
:いろんな使い道があります。例えば、牛舎の掃除。珪藻土をわらの上に撒くと、抗菌・除菌効果を発揮する。化学薬品を使っていないから、畑にそのまま捨てられます。あとは病院や老人ホームの壁材、ペットのトイレにも使えます。特殊な使い方としては、肉の熟成。熟成庫に珪藻土を敷き詰めて、余計な菌が入ってこないようにできます。他にもいろいろな使い道があります。

── 万能な素材ですね。

小坂
:他にも共同で開発している商品もあります。遠赤外線の効果については特許も取得しましたし、抗菌・除菌効果も4月に特許登録が完了しました。稚内珪藻土は、地域の宝なんです。

市内の工場でタイル状に加工された稚内珪藻土。バスマットやコースター、壁材などに加工される
市内の工場でタイル状に加工された稚内珪藻土。バスマットやコースター、壁材などに加工される

地元がさびれていくのを見るのが、つらいんです

「いつかは引退しなきゃと思うんだけどね」と穏やかに笑いつつも、ご自身が手がける事業や企画の話となると、パッと目が輝きます。なぜ、そこまで地元のために力を振り絞れるのでしょうか。

小坂
:よく言われますよ、「お前バカか」って(笑)。でも、祖父の代から稚内で生まれ育ってるから……ふるさとがさびれていくのが、かなしいんです。地元の人たちは、みんな一生懸命がんばっています。なんとか、元気になってほしい。その思いが、他の人よりちょっと強かったのかもしれませんね。

── 地元のために、という思いは昔からお持ちだったのですか?

小坂
:東京は、仕事をするにはいいけど、老後も住み続ける街ではないなと思っていました。60歳になる頃に、引退後のことをどうしようか考えたんです。「そろそろ稚内に帰ろうか」と思っていたタイミングで、当時の市長から「小坂さん、稚内で新しい事業を起こしてくれないか」という乱暴な申し入れがありまして(笑)。

無理だろうと思ったけれども、私をここまで育ててくれたのは稚内の人たちのおかげなんですね。上京しても、必ず毎年稚内には帰ってきていたし、恵まれた自然の中で過ごすことで癒されて、東京でもめげずに頑張ることができたと思っています。

── 一度、稚内を出られたからこそ、地元に対して思いを強くされている部分もあるのかと思います。

小坂
:そうですね。事業だけでなく、2009年に「東京稚内会」の会長になって、少しでもふるさとのために何かしたいと思って活動してきました。

「東京稚内会」では毎年、稚内から市長や産業界の人たちと、首都圏にいる稚内出身の人たちが集まって、総会を兼ねた親睦会をやっています。

でも、それだけじゃおもしろくないでしょう。せめて稚内と首都圏の架け橋になるようなことをやろうと思って、2、3年に1回くらい、みんなと一緒に稚内へ帰る「ふるさと訪問ツアー」をおこなったり、稚内の子どもたちのために「ふるさと・子ども夢プロジェクト」という企画も始めました。

── どういったプロジェクトなのでしょうか?

小坂
:最初は、オリンピック選手をたくさん育てた鈴木啓三先生のお話を、稚内の子どもたちに聞いてもらって、子どもたちの将来に役立ててほしいと思ったのがはじまりです。調べてみると、講師をやってもらえそうな方が、まだまだたくさんいることが分かって、教育委員会と共催で、市内の中・高校に講師の方を派遣するようになりました。子どもたちが自分の将来を、夢と希望を持って考えてほしいという思いで続けています。今年で7回目ですね。

「東京稚内会」では、メンバーの一人が新しい活動を始め、新聞にも取り上げられた
「東京稚内会」では、メンバーの一人が新しい活動を始め、新聞にも取り上げられた

── 小坂さんが思う、稚内の良さとはどんなところですか?

小坂
:のんびりしているところかな。せわしさがないですし、自然も豊かです。私は稚内にいる間はよく、ノシャップ岬の方へ行くんですが、親父の昆布の干場に寝そべって見る夕焼けが、本当に綺麗なんです。

利尻島、礼文島が見える昆布の干場からの夕焼け(写真提供:小坂さん)
利尻島、礼文島が見える昆布の干場からの夕焼け(写真提供:小坂さん)

みんなが助け合おうという、ぬくもりもありますね。逆に言うと、それが弱点でもあるんです。あまり競争意識がないから、都会に比べて切磋琢磨する感覚が少ないんですね。

北海道は明治時代から国の援助で開発が進んできた街が多いです。困ったら誰かが助けてくれるという雰囲気もあるけど、もうそういう時代ではありません。

地域も国も財政難ですから、自分のことは自分でまかなわないといけない。少なくとも、共同体を維持できるように切磋琢磨することは大事。だから、ウニやナマコの事業をやったり、「東京稚内会」の活動をしたりしているわけです。育ててくれたふるさとへの、ささやかな恩返しですね。

── 稚内がふるさとだという方に向けて、伝えたいことはありますか?

小坂
:私自身、まだまだ本当に未熟だって思うことがあります。ぜひふるさとを盛り上げるために、力を貸してほしいですね。

やりたいことが尽きない小坂さんのような地元出身者が、ふるさとのために矢面に立ち続ける姿は、多くの人に勇気を与えるのではと思います。

全員が全員、小坂さんのように新しいことにチャレンジすることはむずかしいかもしれない。けれど、時々地元へ帰ったり、地元産のものを購入したり、活動を手助けすることはできます。

「地元には何もない」と低く見るのではなく、少し視点を変えてふるさとを見つめ直すと、今まで気づかなかった発見に、出会えるかもしれません。

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