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伝統の仙台味噌・醤油を次代へ。白石で醸す森昭の物語

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伝統の仙台味噌・醤油を次代へ。白石で醸す森昭の物語

白石市事業者の想い

文:高木真矢子 写真:阿部一樹
 
家庭料理と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?
「味噌汁」や「煮物」といった家庭料理の風味を引き立て、日本の食生活に深く根ざす味噌や醤油。その味わいと香りは心地よい懐かしさを感じさせます。
 
宮城県白石市に根を下ろす有限会社森昭(もりしょう)は、昭和9年創業の味噌・醤油製造業者。その中心に立つ4代目社長の森建人さんは、情熱をもって地域の伝統と革新を結びつけています。
 
地域に根ざした事業の継続と発展にかける森さんの思いと、あまたの困難とともに歩んできた森昭の旅路についてうかがいました。

創業から現代まで、変わらぬ地域への思い

森昭は森さんの曽祖父が創業した味噌・醤油製造業者です。昭和9年の創業以来、白石市の歴史と共に歩んできました。
 
ーーまずはこれまでの歴史を教えてください。
 
森:自分にとっては物心ついた時から味噌屋でしたが、かつては繭問屋を営んでいたと聞いています。養蚕業者と取引を手がける中で、穀物関連の業者とも繋がりができたことから、宮城県産の大豆と蔵王山麓から湧き出る水を利用して、味噌・醤油づくりをはじめたそうです。
 
ーー森昭さんで作られている仙台味噌はどのようなものでしょうか?
 
森:味噌には米味噌・豆味噌・麦味噌の3種類があります。
「仙台味噌」は米麹と大豆でつくられる辛口の赤味噌。風味高く、そのまま食すこともできるのが特徴です。
 
仙台味噌は伊達政宗が御塩噌蔵(おえんそぐら)と呼ばれる、日本初の味噌醸造所で作らせたものに由来します。醸造の専門家・真壁屋市兵衛に味噌御用を勤めさせたことが始まりと言われています。
 
現在では宮城県味噌醤油工業協同組合に加盟する事業者が、宮城県内で基準に沿って製造した味噌のみを「仙台味噌」として販売できます。
 
白石周辺は赤味噌が一般的でしたが、時代とともに全国企業の支店や支社が増え、白味噌を求める声が増えました。現在では仙台味噌だけでなく、白味噌も製造するようになりました。

ーー時代とともに変化しているのですね。全国の品評会で、主席の農林水産大臣賞受賞​​の実績もあるお醤油についても教えていただけますか。
 
森:地域性の高い味噌とは違い、醤油は差別化が難しいところがあります。レベルも一定のラインまで上がってきていますしね。
 
森昭では、全国の品評会で高評価をいただいている「本醸造 特級醤油」や、宮城県産大豆・小麦を使った「本醸造醤油 地産地醤」などを製造販売しています。まろやかさがあり、宮城に暮らす人達の人柄を思わせる、ほんわりとした豊かな味わいに仕上げています。
 
 
曽祖父・祖父・父と受け継がれてきた仙台味噌と醤油。
昨今の減塩などにも積極的に取り組み、仙台味噌のブランドを保ちつつ、次代に残すための変化を続けています。

「ハレ食とケ食」感じた格差と市場の変化、募る危機感

森さんにとって、家業である森昭は物心ついた時から慣れ親しんだ存在だったといいます。しかしながらその姿は時代とともに変化していきました。
 
ーー子どもの頃の家業の印象はいかがでしたか。
 
森:当時は白石市内に味噌蔵が5、6軒あったんです。その頃は、景気がよかったのでしょうね。小学生の頃から「手伝いだ」と言いながら、商品をいっぱい積んだトラックに乗っていた記憶があります。
 
ーー身近な存在だったんですね。「自分が継ぐんだ」という意識はありましたか。
 
森:子どもの頃は遊ぶのに夢中だったかな(笑)。
ただ常日頃から祖父も父も「地域密着」を大事に商売してきた事を聞かされていました。
家業を意識するようになったのは大学進学の頃でしょうか。東京農業大学の醸造学科卒業後は、東京で4年間会社員を経験しました。
その後祖母が亡くなったのを機に、30歳目前でUターンし家業に入りました。

祖父が掲げた「地域密着」は4代目の森さんも受け継ぐ、森昭の柱とも言える精神だといいます。Uターン後は製造と営業を担当することになった森さんでしたが、この頃にはかつてトラックいっぱいに積んで配達していた商品の量は、減り始めていたといいます。
 
森:まずは専務として、製造と福島県や宮城県への営業を担いました。
食品加工業や食堂、米屋や商店などが主なお客様。他社はその頃からスーパーに参入し始めていましたが、うちは積極的な参入は控えようと決めました。
 
ーーそれには何か理由があったのでしょうか。
 
森:Uターン当初は、私もスーパーへ営業に出向いたことがありました。そこで改めて気づいたのが、味噌や醤油は常にそばにある日常食だということです。
 
同じ発酵食品である日本酒はいわゆる「ハレ」食ですが、味噌や醤油は「ケ」食、つまり日常のものなんです。付加価値のつけやすい日本酒と違って、当時の味噌は200〜300円で買えるものでした。
 
こちらから営業をかけるよりも、販売店側から依頼を受けてスポット販売する方が価格交渉の余地があります。安売りにも巻き込まれずに済む。
結果として、その判断でよかったと思っています。
 
さらに味噌・醤油だけでは、経営的にもこの先厳しいだろうと、父の代からめんつゆを始め、味噌漬けや甘酒なども製造するようになりました。

火事、地震、幾多の困難を乗り越えて

市場の変化にも対応し、品質の維持を選択した森さん。かつては白石市内に多くの競合が存在した味噌・醤油業者も、現在では森昭ともう1軒のみに。
森さんは味噌・醤油業界の全国組織にも積極的に関わり、地域と業界の発展に日々尽力しています。しかしその裏には険しい道のりがありました。
 
ーーこれまでの長い歴史の中では、困難も多かったのではないでしょうか。
 
森:率直にいえば、経営面は苦労の連続でしたね。
祖父の代に工場自宅が火事になり再建したものの、父の代では得意先がなくなり、借金を背負って潰れるぐらいの経営状況になりました。工場・自宅・土地を売って、新たな場所で規模を縮小することで何とか乗り越えました。
 
腰を据えて事業を営んでいこうと思っていましたが、1978年の宮城県沖地震で工場と自宅が大きな被害を受けました。
 
加えて当時は地域の事業者でまとめて醤油を作ろうと、醤油製造の組合を作ったばかりだったんです。しかしながら、その後諸種の事情により組合は潰れることになりました。副理事長で組合の保証人だった父は、組合が抱える何千万の借金を背負うことになったんです。

森:借金の連続です。
返し終わる前の2011年には東日本大震災に襲われ工場と自宅が半壊になり、今の地に引っ越しました。
2021年2月2022年3月の福島県沖地震でも、建物に被害がありアスファルトや浄化槽などの設備がダメになりました。最近建物と浄化槽の工事が終わり、ようやくアスファルトの整備が始まるところです。
 
 
ーー言葉にならないほどの苦労の連続ですね・・やめてしまおうと考えたことはないのでしょうか。
 
森:組合が潰れた時は、どうしようかとは思いましたよ。数千万ですからね。
でも従業員もいるし、なんとかやっていくしかないなと。
 
ーー従業員さんもいらっしゃるし、白石の味噌醤油蔵としても次代に残したいと。すごい覚悟というか胆力で、私自身も身が引き締まる思いです。
 
:そういうこともあるだろう、くらいの気持ちですね。元々ポジティブなんですよ。
 
前向きさを失うことなく歩みを止めず、レジリエンスの象徴のような森さん。その前向きさは、地域社会の中でも発揮されています。

地域とともに生き、伝統を次世代へ

伝統的な製造方法を守りながらも、地域での協業にも取り組む森さん。次世代への食文化継承にも意欲的に取り組んでいます。
 
森:最近では味噌博士として、仙南地域の小中学校での授業を担当し、地域の食文化の理解を深める活動も行っています。土地ごとに味の違う味噌や醤油など、地域に根ざした食文化と伝統を維持し、若い世代に伝えていきたいと思っています。
 
ーー「材料にいろんな違いがあることがわかりました」や「歴史クイズが楽しかった」という感想がありますね。授業ではどんなことをされているんですか?
 
森:仙台味噌をはじめ、さまざまな味噌の実物を見せ「こんなに種類があるんだよ」と、色や匂いの違いを知ってもらいます。「有名な武将のところには、有名な味噌があるんだよ」とかね。
子どもたちはスーパーで買う味噌が米味噌なのか、豆味噌なのか、麦味噌なのか・・普段意識せずに食していると思うんです。将来のお客様として、知ってもらうための大切な活動です。

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ーー「白石たっぷりん」のソースや竹鶏ファームの「卵かけごはん用のお醤油」など、地域での協業には、一緒に頑張っていきたいという思いがあるのでしょうか?
 
森:そうですね。仙台や白石近辺は転勤族の方も多く、地域に愛着が湧かないまま人が入れ替わっていく環境にあります。なかなか協業して、成長していくのが難しい土地ではありますが、地元の工場や人が育ち成長するきっかけになればと、いつも思ってます。
 
最近では味噌・醤油の組合員など、小規模同業者の商品製造も請け負っています。
人口減少や高齢化、後継者問題なども多く、業界もどんどん縮小しているのが現状です。
台所事情を知っているので、ボランティアに近いような状態ですが受け入れています。
 
ーーそれは、なぜ受け入れるんですか。
 
恩義ですかね。
父も組合役員をやっていましたし、会社を潰しそうになった時には、組合にも借金があったものの返済を待ってもらったんです。「すぐに返せ」と言われていたら、潰れていました。だから組合には恩義があるんです。
過去に助けてもらった以上、できる限りのことはしていこうと決めています。
 
ーー恩義や人の縁をすごく大事にしてらっしゃるんですね。
 
森:会社も自分も、まわりに生かされているんだなと思いますよね。

ーー最後に、今後の夢や目標を教えてください。
 
森:まずは白石の味噌・醤油蔵として、末長く存続していくことです。
味には自信があります。本物の味噌・醤油の味をぜひ体感してほしいですね。
 
そして白石で商いができるうちに、街もどんどん良くなっていけばと思います。
 
白石って「なんでそれを生かさないの?」と言われる、恵まれた環境なんです。例えば白石には、スキーやゴルフ、温泉も日帰りできる距離にあります。首都圏だとお金をかけて移動しないと、体験できないものが、すぐ側にある。
 
もっと魅力を生かして、いつの間にか通過点になってしまった白石を元気にしたいですね。
 
多くの困難を乗り越え、地域の伝統を守りながらも新たな挑戦を続けている森さん。
森さんはかつて伊達政宗に仕えた白石城主・片倉小十郎のように、家業にとどまらず、この地の仲間たちの恩義に報いるべく、地域コミュニティへの貢献にも力を注いでいます。
森昭の根底に流れる強い意志と愛情は、これからも白石で脈々と受け継がれていくことでしょう

会社情報

有限会社森昭
〒989-0217 
宮城県白石市大平森合字森合沖106-2
TEL:0224-26-2327
FAX:0224-26-3033

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