takibi connect
白石市

「白石温麺を次の100年に」白石興産が地域とともに紡ぐ共創の新章

takibi connect

「白石温麺を次の100年に」白石興産が地域とともに紡ぐ共創の新章

白石市事業者の想い

文:高木真矢子 写真:阿部一樹

蔵王連峰を背に佇む宮城県白石市。この街で約400年にわたり市民のソウルフードとして受け継がれてきたのが「白石温麺(うーめん)」です。

温麺製造の老舗・白石興産は、138年にわたる歴史の中で幾多の困難を乗り越え、新たな挑戦に臨んでいます。民事再生から現在までの軌跡と、地域全体で白石温麺を盛り上げる取り組みについて、白石興産株式会社営業部部長・佐藤雅宏さんにお話をうかがいました。

400年受け継がれる白石温麺と白石興産138年の歴史

白石の名産品として知られる「白石温麺(うーめん)」は、心温まる物語から生まれました。白石城の城下に住んでいた鈴木味右衛門が胃を患う父のために、旅の僧から教わった油を使わない短い麺をつくったところ、父の体調が回復したというお話。この話が時の城主・片倉小十郎公の耳に入り、「温麺(うーめん)」と名付けられたといいます。

ーー温麺の白石温麺特有の味わいはどのように生まれるのでしょう。

佐藤:白石温麺は油を使わない製造方法から生まれる、つるりとした喉越しとコシの強さが持ち味です。9cmという麺の短さも特徴的で、食べやすさに定評があります。

製造は朝4時から粉を練り始めます。寒い時間帯から作業しないと、グルテンの形成がうまくいかないため、温度管理がとても重要です。加えて、職人さんが一人前になるまでに5年の歳月を要し、本格的な製造には長期的な視野が必要になります。

手間のかかる製法だからこそ、白石温麺独特の味わいが生まれるのです。

白石市内の飲食店「長寿庵」で食べることができる白石興産の温麺
白石市内の飲食店「長寿庵」で食べることができる白石興産の温麺

白石温麺を手がける白石興産の歴史は、明治19年(1886年)に遡ります。

当時、白石には100カ所以上の水車がありました。水量の多い上流の水車で石臼を回して製粉し、下流では精米・精麦をおこなっていました。
しかし、当時の石臼では粗悪な小麦粉しかつくれないなど課題があったといいます。

ーー白石興産のこれまでの歩みを教えてください。


佐藤:明治時代に白石の有力者が集まり、小麦粉の品質向上のため海外から製粉機を導入し、東北で初めて小麦製粉を手がけたのがはじまりです。温麺文化が根付いていたことに加え、食料政策として小麦に力が注がれていたことも後押しになったようです。

最盛期にはJR東北本線からの引き込み線が会社の敷地に敷かれ、何棟もの大きなサイロ※ に小麦を保管して、製粉していたそうです。当時は従業員が100名を超える大きな会社でした。

※サイロ・・・穀物や飼料を貯蔵する大型の垂直な貯蔵庫

しかし高度経済成長期を経て、会社を取り巻く環境は大きく変化していきました。白石興産は事業多角化が災いし、2004(平成16)年には民事再生法の適用を受け、苦難の時期を経験することになりました。

佐藤:さまざまな“いい話”に手を出し過ぎた結果、事業の存続が困難になり民事再生にいたったと聞いています。

紆余曲折を経て、2010(平成22)年白石興産は株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングスの完全子会社として再建の道を歩むことになりました。

ーーさまざまな苦労があったのではないでしょうか。


佐藤:原料調達や販路の確保など、一度信用を失った会社として多くの困難がありました。苦しい状況下でしたが、手を差し伸べてくださった会社もいました。後継の会社の後ろ盾もあり、販売に関してもなんとか苦難の時期を乗り越えることができたのです。

再建を進める中で苦しい決断も数多くありました。実は白石興産では数年前から、伝統の手延べ製法である「手綯(てない)製法」をやめてしまったのです。現在は他の業者から麺を仕入れ、袋詰めして販売しています。

白石興産の乾燥場、温麺が美しい反物のように並びます
白石興産の乾燥場、温麺が美しい反物のように並びます

再建への一歩。社員の声から生まれた新製品

白石興産が再建の道を歩みはじめた頃、社員からの声からあらたな製品が生まれました。「寒ざらしそば」です。

ーーそばにも力を入れているとうかがいました。どんな経緯で始められたのでしょうか。

佐藤:山形県の「寒ざらしそば」を知った社員の提案がきっかけでした。製粉業からはじまった白石興産では、以前から温麺だけでなく、そばも扱っていました。「もっとそばの魅力を広めたい」と、2004年からはじめました。

江戸時代の保存方法を再現した「寒ざらしそば」は、毎年1月20日頃から仕込みを始めます。大寒の日に沢に仕込んで、立春の日に引き上げるのが本来の手法です。2週間ほど氷水に漬けることで、そばのアクが抜けほのかな甘みが引き立ちます。ただ近年は暖冬の影響もあり時期を調整することもありますね。

当初は失敗を繰り返し、模索しながら取り組んだという「寒ざらしそば」の製造。地域のお蕎麦屋さんなどの協力も仰ぎながら、仕込んでいったといいます。現在では白石スキー場の協力を得て原そばを運び、佐藤さんらの手で沢に仕込む、まさに地域ぐるみの取り組みとなっています。

佐藤:原そばは降雪機を使って、スキー場の駐車場から1キロほど林道を運びます。膝まで雪が積もる中、さらに5メートルほど下の沢まで運び、仕込みます。骨の折れる作業ですが、地域の方々の協力によって、これまで20年に渡り続いてきました。
「寒ざらしそば」は白石が誇る新たな特産品の一つになっています。

現在白石興産では乾麺が売り上げの約6割を占め、蕎麦粉や小麦粉、春雨など、グループ会社の商品の販売やプロデュースなどが売り上げの約4割を占めているといいます。
さらに2024年春には、社員のアイディアから冷凍温麺の開発が始まりました。


ーー冷凍温麺の開発にはさまざまな試行錯誤もあったのでは。

佐藤:解凍後も温麺特有の食感を維持するため、原料の配合や解凍方法など試行錯誤しました。解凍方法のヒントになったのが「流水解凍できるんですか?」というお客様の声です。流水解凍はオペレーション向上につながる。今は麺の硬さや流水での解凍方法、一袋あたりの価格などを最終調整しているところです。

手を取り合い、白石温麺を盛り上げる「白石うーめん応援団」

再建後、温麺に限らず新たな活路を模索してきた白石興産。2022年12月には新社長に和田一衛さんが着任しました。和田社長の気づきから、白石興産は地域との連携を強化していきます。

ーー和田社長からは、どんな気づきがあったのでしょう?


佐藤:「白石は素晴らしいものがたくさんあるのに、非常に寂しいまちだ」と。蔵王連峰やキツネ村、温麺など素晴らしい素材がたくさんあるのに、発信力が弱いと感じたそうです。

“温麺業界の分断”についても指摘され、「このままでは温麺業界全体が衰退してしまう」と社長は危惧しました。そこで、これから会社を背負っていく立場の世代が集まり、業界全体のことを考える場を設けようと、勉強会を企画することになりました。

ーーそれまで、会社同士の交流はなかったんでしょうか。

佐藤:そうですね。社長クラスが集まる機会はあっても、社員同士が交流する場はほとんどありませんでした。初回の勉強会では終了後に、親睦会が設けられました。お酒も進み堅さも取れた場で、それぞれの抱える悩みや課題感・・気づけば白石温麺について語る時間になっていたんです。この交流を通じて、業界が結束する必要性をより強く感じましたね。

思いを同じくしていると確信した、白石興産・きちみ製麺・はたけなか製麺の3社の若手は「白石うーめん応援団」を結成。かつてはライバルだった各社が手を取り合い、白石温麺の未来を共に考える場が生まれました。

白石うーめん応援団として、地域のこどもたちに伝える活動も定期的に行っています
白石うーめん応援団として、地域のこどもたちに伝える活動も定期的に行っています

白石興産が地域での活動の一歩を踏み出した背景には、首都圏での展示会で直面した現実が大きく影響していました。

佐藤:東京の展示会に行った時のことです。「しらいしおんめんって何ですか?」と聞かれて、愕然としたんです。「白石(しろいし)」も読めない、「うーめん」も「おんめん」に。さらに「温かくしないと食べれないんですよね」と・・。

認知度向上のため、「温麺」の横にあったふりがなから、ひらがな表示に変えた商品も。
認知度向上のため、「温麺」の横にあったふりがなから、ひらがな表示に変えた商品も。

佐藤:宮城県では当たり前のように温麺が食されているので、ある程度の知名度はあると思っていたんです。でも実際はそうじゃなかった。大きなショックを受けました。

その一方で現実を知って、強い使命感が湧いてきたんです。

白石温麺の素晴らしさを知っているからこそ、もっと多くの人に知ってもらいたい、食べてもらいたい。「広まってないからこそ、広めなきゃいけない」と。


白石興産では温麺の魅力を広めるため、「白石うーめん応援団」としての地域連携もスタートしました。白石高校の課題研究では、生徒たちと一緒に新しい温麺の活用法を考案。市内の屋内遊び場「こじゅうろうキッズランド」館長プロデュースの「白石うーめん体操」を、地域の保育園で一緒に踊るなど、応援団としてPRイベントも行っています。

ーー他社との交流によって変化はありましたか?


佐藤:本当に多くの気づきがありました。

まず、工場見学をさせてもらったんです。見学すると、他社の優れた点がよく見えます。自社に持ち帰って、「取り入れるにはどうすればいいか?」の話し合いができるようになりました。販売面や新製品開発など多くの発見がありましたね。

特にきちみ製麺の木村さんは、温麺のPR活動の歴史に詳しく、過去の成功例や失敗例など販促の知識が豊富なんです。お互いの仕事の悩みも話せるようになりました。品質管理やSNSでの発信方法など、よく情報交換しています。

当初は勉強会という形でしたが、今では飲みに行ったり、イベント前に打ち合わせを兼ねて集まったり。こうした交流のおかげで、自社だけでなく温麺業界全体を考えられるようになりました。競争しながら協力し合う、そんな関係が築けたのは大きな収穫だと思います。

白石温麺を次の100年に

温麺会社との関係を深める中で、白石興産が定めた新たな方針が県外への展開です。2024年夏には銀だこ系列の創作おでん店「おでん屋たけし」で、期間限定メニューとして「〆の温麺」を提供。さらに海外展開や防災食、低カロリー食品として温麺の新しい可能性も追求しています。

ーー今後の夢や目標を教えてください。


佐藤:温麺は麺が短く、フォークでも食べやすいことから、本格的な輸出参入も検討しています。海外のドン・キホーテ数店舗ではそばを展開したり、「麺道楽」シリーズも少しずつ海外に出荷しています。グループ会社の販路を生かし、少しずつ営業活動を進めているところです。

防災食への展開も視野に入れ、開発もスタートしています。災害時こそ、おいしいものを食べていただきたいですから。

ーー言語の壁や食文化の違い、アレルギー基準のクリアなど、克服すべき課題が多くありますが、白石温麺の魅力は国境を越えて伝わると信じています。

佐藤:温麺はストーリーを知ってもらうと、見方が全然違ってくるんです。例えば介護施設の方にお伝えすると、介護の現場に温麺がマッチすると感じられる。そういう出会いを大切に、温麺の魅力を一つずつ丁寧に伝えていきたいと思います。

白石温麺は誕生から約400年という歴史があります。江戸時代から続く郷土の料理として、文化庁の「100年フード」にも選ばれました。今後は「白石温麺を次の100年につなぐ」というメッセージをパッケージにも添え、白石温麺を全国に、世界に広めていきたいです。

温麺はまだまだ可能性があります。それを追求し続けること、そして白石温麺を次の100年へとつないでいくこと。それが私たちの変わらぬ目標です。

地域の中で白石温麺を大切に思ってくださる方からの手紙。自分のことのように喜び、嘆く・・つづられる叱咤激励の言葉に、「応援してくれている人がいる、と身が引き締まる思いですし、力になります」と佐藤さん
地域の中で白石温麺を大切に思ってくださる方からの手紙。自分のことのように喜び、嘆く・・つづられる叱咤激励の言葉に、「応援してくれている人がいる、と身が引き締まる思いですし、力になります」と佐藤さん

「手法を変えても白石温麺を絶やさない・・」白石興産・苦渋の決断から、新たな可能性の模索をうかがう中で、白石温麺は先人たちの想いが詰まった宝物なのだと強く感じました。

伝統の郷土料理である、白石温麺の価値を理解し、広め、次の世代に引き継ぐこと。競合する企業同士が手を取り合い困難を乗り越え、白石温麺の未来を築く。白石興産の挑戦は、白石温麺の新たな100年の歴史の礎となることでしょう。

一杯の温麺に込められた想いは、きっと未来の誰かの心をあたためます。

Information

・白石興産株式会社
〒989-0208
宮城県白石市字大畑一番1番地の2
TEL:0224-25-3101

・白石興産工場直売店「角万(かくまん)」
〒989-0208
宮城県白石市字大畑一番1番地の2
TEL:0224-26-2012

  • このエントリーをはてなブックマークに追加