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- 最北のイチゴの産地へ。新たな産業の歴史がはじまる
- 文:立花実咲 写真:原田啓介
日本全体の課題、人口減少。その減少速度は、地域によって違います。猿払村はホタテの稚貝放流事業によって雇用が安定し、人口の減り方はゆるやかになっています。
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- 獲り尽くして消えたホタテ。どん底から日本一の漁獲量を誇る村への復活劇
- 文:立花実咲 写真:原田啓介
「人間は神々と力を競うべきでない 人間は自然の摂理に従うべきだ」
この言葉は、オホーツク海をのぞめる道路沿いに建てられた「いさりの碑」に、刻まれています。
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- 1000年の歩みを次の時代へ 「相馬野馬追」を受け継ぎ支える影の立役者たち
- 文:高田江美子 写真:鈴木宇宙
南相馬市には、1,000年以上に渡り受け継がれてきた伝統行事があります。国指定重要無形民俗文化財にも指定されている相馬野馬追です。
4百余騎の騎馬武者たちが、重厚感ある甲冑に身を包み、先祖伝来の旗指物を背になびかせた姿で集結。騎馬武者たちが街を行進する「お行列」、勇猛果敢に疾走する「古式甲冑競馬」、打ち上げられた御神旗を奪い合う「神旗争奪戦」など、人馬一体となって壮大な戦国絵巻が繰り広げられます。さながら戦国時代にタイムスリップしたような騎馬武者の姿は多くの人たちの心をつかみ、例年16万人もの観光客が訪れる夏の風物詩です。
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- 厄介ものが地域を救う? 自然エネルギーに懸ける街の未来
- 文:立花実咲 写真:原田啓介
「風さえ無ければね」。
稚内市に長く住んでいる人ほど、そんなふうにおっしゃるそうです。学校の運動会やお祭りではテントが吹き飛んだり、お弁当が散らかったり。屋外を楽しむのがままならないほどの強い風は、稚内の特徴でもあり、常に悩みの種でした。
今までは厄介ものだった風。これからは地域の未来を救う、最後の手段になるかもしれません。
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- 稚内は、はしっこではなく世界へ続く第一歩。紡がれる樺太との歩み - コピー
- 文:立花実咲 写真:原田啓介
稚内は、日本の最北の地。
ですが、かつて稚内よりさらに北に、日本の領土が広がっていた時代があります。
日露戦争翌年の1905年から、第二次世界大戦が終わる1945年まで、樺太(現在のサハリン)の南半分は、日本の国土の一部でした。そして稚内を玄関に、積極的な交流がおこなわれていたのです。
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- どんな環境でも生み出していける 南相馬でゼロから100のビジネスへ
- 文:高田江美子 写真:鈴木宇宙
2011年3月11日に発生した東日本大震災。東京電力福島第一原子力発電所の事故により、福島県南相馬市小高区では、全住民1万2,842人(当時)が避難を余儀なくされました。当初予想されていた帰還者は10%ほど。2016年7月12日に避難指示が解除されたのち、徐々に住民たちが戻り、現在は7,246人が小高区で暮らしています。(2020年6月30日時点)
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- 33年の歩みを未来へつなぐ 持続可能な町に向けた東京理科大学と長万部の挑戦
- 文:高橋さやか 写真:斉藤玲子
海もある。山もある。あたたかい人たちがいる。
渡島半島内浦湾に位置する長万部町。
札幌と函館の中間にあるこの町は、古くから交通の要衝として栄えてきました。「自然豊かな環境で人間性を育む教育を」と願った東京理科大学(以下、理科大)がこの地にキャンパスを構えたのは、1987年のこと。33年にわたる大学と町とのつながりは今、町の未来づくりへと歩みを進めています。
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- コミュニケーションを育むのは1冊の本から 家族をつなぐブックスタート
- 文:高橋さやか 写真:斉藤玲子
読書離れが叫ばれて久しい中、「読書のまち」としての取組みを20年以上つづけてきた恵庭市。全国にさきがけて導入したブックスタートをはじめ、小中学校への図書館司書配置、まちじゅう図書館など、独自の施策をうちだしてきました。
お話をうかがったのは、ご自身のお子さんがブックスタートの一期生という、恵庭市教育委員会教育部読書推進課課長の黒氏優子さんです。
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- 市民の情熱にまちが動いた 花を素材につくりあげた時が経っても美しいまち
- 文:高橋さやか 写真:斉藤玲子
「花のまち」として、全国的に知られる恵庭市。「恵まれた庭」という地名にふさわしく、花と緑で彩られたまちは、市民が中心となり長い時間をかけてつくられてきました。
人の手がかかる花は、景観を美しくするだけでなく、関わる人の間にコミュニケーションを生み、まちを息づかせてきたのです。
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